『ちむどんどん』の脚本家である羽原大介氏が、作品について語っています。元々は琉球新報のインタビュー記事ですが、こちらが有料であるため、yahooの方のリンクを貼っておきます。
「 #ちむどんどん反省会」などSNS上の批判に脚本・羽原氏の受け止めは? 琉球新報単独インタビュー 沖縄描いた朝ドラ
しかしタイトルに「 #ちむどんどん反省会」が出て来るなんて、反省会タグも有名になりましたね。
そしてこの記事で羽原氏は
「比嘉家6人の家族の絆やふるさとにかける思いだ。人と人との結びつきやつながり合うことの大切さを伝えたかった」
とコメントしていますが、絆やふるさとにかける思いらしきものが、どうもあまり見えてこないのです。逆に見えて来るのは
暢子が人の話を聞こうとせず、いつも自分を押し通して最終的には誰かが助けてあげる
賢秀が犯罪まがい、あるいは犯罪(ネズミ講)に手を染めてばかりいる
子供たちを叱らない優子
子供を教える立場なのに柔軟性がなく、理想論を述べたがる良子
暢子の夫なのに存在感が薄い和彦
毎週のように出て来る後付けの事実
こういったことなのですが…。あと
「SNSを中心に厳しい意見があることについては『朝見ていただいて“今日も一日頑張ろう”と思っていただけるようなドラマ作りが一貫してできた』と自信をにじませた」
とありますが、質問に対する答えになっていないと思います。厳しい意見の内容に対して本来は向き合うべきなのですが、これでは自分の思いを述べているだけでしょう。ウリミバエで沖縄産の野菜が持ち込めない問題、この当時なかったはずの諸事物、さらには料理がテーマなのに食物を粗末にするような描写に加え、「姉のおさがり」、病院へ数珠を持ち込むところなどなど、反省してほしい点は多々あるのですが。
それから第105回で重子が暢子に渡した花束ですが、あれも昭和50年代ではなく最近のものだと指摘されていました。ラッピングの仕方などが今風ですし。
また羽原氏によると、賢秀ニーニーがようやく本気を出すらしいのですが、つまりは養豚場の娘の清恵と結婚するということでしょうか。その前にあの涌井なるチンピラとの乱闘シーンが出て来るのでしょうか。それと清恵も水商売をやって涌井に貢ぐシーンがあるようですが、そういうのを出す必然性が果たしてあるのでしょうか。
とにかく乱闘とか、暴力沙汰になりかねないようなシーンがこの朝ドラは多いし、それ以外にも暢子の態度とか、食物を粗末に扱うようなシーンを観て、果たして「今日も一日頑張ろう」という気持ちになれるのでしょうか。(ちなみに私は録画を夜観ています)
また反省会タグのツイで、このドラマはおじさん視点という指摘がありました。無論それ以外にもおじさん的な脚本というのはありますが、確かに主人公が我が強く、その割に主に男性に助けてもらうという描写が「おじさんに助けて貰う女の子(女性ではない)」であり、ちょっとマンスプレイニング的な、男性よりも下の位置にいる女性のイメージにも取れてしまいます。無論この場合助けてあげる存在は暢子であって、決して愛ではないわけです。
小檜山青氏はこのドラマを評価していますが、本当はこういうのは、一番嫌いな設定ではないのでしょうか。やはり『カムカム』への対抗意識で、やや強引に評価しているのだろうなと思います。
あと公式サイトでこういうコラムがあるので置いておきます。
イタリア料理と沖縄料理には似ているところも(オカズデザイン)
この中で、矢作を演じる井之脇海さんの包丁使いが上達したというのはわかります。ただ黒島さん演じる暢子の包丁使いは、ちょっと危なっかしく見えるところがあるし、最近は包丁を使うシーンそのものをあまり見ないのですが。そして何よりも、食物を粗末にするシーンの方を何とかしてほしいです。飲食店のシーンのみならず、山原小学校の子供たちが、給食を残す描写にも同じことが言えます。
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