『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点の続きです。
まずMVPですが、「頼家・善児・トウ」という見出しで、「選べません」とあります。私としては、毎週のようにMVPを選ぶかどうかも疑問ですし、それがページ数をいたずらに増やしているように見えてしまうのですけどね。もし選ぶのなら、善児と源仲章でしょう。
そしてこうあります。
頼家は結局、最期の最期まで、その浅さを見せてしまったところが気の毒といえばそう。
あんな幼稚な嫌味とか。権威を見せつけるとか。手の内を明かすこととか。
短慮なことをしなければ死なずに済んだだろうに、そういうところが父より遥かに素朴な人だった。
母のように善良で素直ならば、また違ったかもしれません。
頼家は映像化の機会も多く、神経質な貴公子というイメージがあります。そんな従来の像を説得力を持って再構築してきてお見事でした。
「その浅さ」とか「父より遥かに素朴」などとありますが、これは鎌倉殿の嫡子として育ち、年若くして父の跡を継いだのだから当然と言えます。そして「母のように善良」では、鎌倉殿も将軍もやっていけないでしょう。結局のところ
若気の至りでやらなくていいことまでやってしまった
背後にいる比企能員が、他の御家人と協調するようでもなく、己のやりたいことを通し過ぎた
女癖が悪いとか狩りにのみ熱中したと言われており、どこか政治家としても、武家の棟梁としても頼りながられた
こういうイメージを、キャラ設定の際にやはり重視することになります。すると、やはりイメージは(再構築したとしても)決まってくるのではないでしょうか。これは実朝も似たようなものかも知れません。
そして総評(これも必要かどうかは不明)です。感情移入が大事だと思えた今回とあり、
後鳥羽院は「鎌倉なんて田舎者」と馬鹿にしきっているようで、名付け親になった実朝にそれなりの愛着が湧いています。
後鳥羽上皇は源氏は大事にしたい、しかし北条をはじめとする御家人は田舎者と考えていたのではないでしょうか。
その実朝は、三善康信が転びながら去っていくところで、気遣う目線を見せていた。
気遣うと言うより驚いたような感じでしたが、そこまで康信と実朝の間には信頼関係があったのでしょうか。
そういう感情移入がまるでない義村は、頼家に頼まれようがそっけなく突き放す。
相手が頼家だから突き放したということも考えられます。損得勘定で動く人ですから。
実衣は我が子・頼全を殺した源仲章を、使えるからか受け入れている。感情に蓋をして利害を考えること。彼女ならそれができるのかもしれない。
実衣の場合そこまで計算をすると言うより、都風のものになびく側面もあると思います。結城朝光の時もそうでした。
あとトウが善児を殺したのは、やはり両親への思いが師匠へのそれを上回ったから、そして善児も一幡のことで隙ができたため弟子に討たれたといったことが書かれており、さらにその次に
そういうグラデーションがあって、感情を捨て去ることはできない。
グラデーションというのは元々、色調や色の明暗を徐々に変化させることを言います。転じて、物事が段階的に変化することもこのように言いますが、この場合のグラデーションはどういう意味でしょうか。文脈から判断して「しがらみ」とか「束縛」といった意味のことを書きたいのでしょうか。
あとこの感情移入つながりで何行か書かれており、さらにこの時代は道徳概念や教養の未整備があるのでわかりにくいなどと書かれていますが、江戸時代的な道徳や教育を基準にすると、すべてがわかりづらくなるかと思います。全く異なる概念の中に、彼ら坂東武者はいると言ってもいいわけですし。そして
鎌倉時代がくだると坂東武者たちも仏典を読み、和歌を詠んで、感情と向き合いながら表現できるようになった。
和田義盛も仏教を学んで賢くなっていますよね。
義盛が仏像を作らせたのは、父親の勧めもあるとセリフの中に登場していますが。そしてこの義盛、この後畠山重忠の乱に北条軍として参加していますが、それを武者さんは「賢くなった」とやはり評価するのでしょうか。
そして義時は善児を殺さないが、仇討ちが根付いていればああは行かないなどとも書かれています。仇討ちがその時代の常識であったとしても、いわば下人である善児の場合は、斬り捨てておしまいにするでしょう。
未整備の感情と道徳観が、毎週こちらをどこかに引きずりこんできます。
ではなく、この時代はそういうものであると割り切れていないだけではないでしょうか。
さらに
私事で恐縮ですが、私は伊豆修善寺観光の帰りに買った反射炉ビール義時味がおいしくて、混沌とした思いを味わいました。
なんで、よりにもよって修善寺で義時土産を買っているのか。しかも美味い。ものすごく感情の整理に戸惑います。
別にお土産はお土産でいいのではないのですか。それを飲んだことで、義時に転生するわけでもないでしょう。その一方で、小檜山氏名義のツイにはこのようにあります。
https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1564215524317204480
修善寺観光で買った北条義時ビールが美味しいというのは、最高だけど最低の感覚というか。なんかこう、申し訳ないというか。
反射炉義時ビールはすごくおいしい!
何もそこまで義時を嫌わなくてもいいと思うのですが。そういうものの見方が、このコラムにも反映されているのだろうなと思います。
あと三谷さんの脱稿関係の記述と、『青天を衝け』の悪口(としか言えません)がありますが、それはまた機会があれば。
スポンサーサイト