まず『ちむどんどん』第104回、今回もざっとです。
三郎の格好、あれは一体何でしょうか 沖縄そばの試作シーンに『まんぷく』を思い出します 「接客、予約の受け方の確認を…」暢子はフォンターナの癖が抜けてない? 「人はよ、何回でも人生をやり直せる」だからニーニーが更生できないのか 和彦はイナムドゥチ作るよりちゃんと家事を分担した方がいいのでは お腹の子が蹴るにしては、暢子のお腹が目立たないのですが 田良島は新聞社からわざわざここに来たの? 来店するのがお馴染みの顔ばかりですね
何だか智のケガの件、伝言ゲームと化していまずね。しかし智もお見舞いなのか、バナナを食べているのはいいのですが、皮をテーブルにべたっと置いているのが汚く見えます。
それとこれも突っ込まれていましたが、三郎の黒の着物に数珠は一体何でしょうか。あれで笑わせるつもりなのかも知れませんが、病院に黒い着物で数珠なんて、洒落にならないと言うか不謹慎では。
沖縄そばの試作。何だか既視感があると思ったら、『まんぷく』のラーメン試食のシーンにちょっと似ているような気がします。しかしそれはともかく、什器の問題とか消防への届け出はもう終わったのでしょうか。
そして料理しかやらないと言っている矢作に「接客、予約の受け方の確認を…」て、フォンターナで料理人が何でもかんでもやっていた、あの乗りなのだろうなと思ってしまいます。無論矢作は料理しかしないと言い切っていますが。
そして東京での営業が終わった賢秀と清恵。清恵が話していたのは自分自身でしょうが、ニーニーがそれに気づいているかどうかは疑問です。そして
「人はよ、何回でも人生をやり直せる」
ニーニーがいつまでもまともな社会人になれない所以でしょうか。
あと、如何にも堅気でなさそうな男が、なぜか高級レストランのはずのフォンターナに入って来ます。清恵のことを知っているようですが、どうも彼女を騙した男のようです。ところでこの役を演じていた田邊和也さん、『鎌倉殿の13人』の曾我十郎ですね。
また和彦がイナムドゥチ(沖縄風豚汁)を作るのはいいのですが、それよりも家事を分担した方が、よほど暢子のためになりそうなのですが…。それとコラム執筆はもう終わったのでしょうか。それから暢子が、お腹の子が蹴ったと言っていますが、胎動は妊娠後期です。その割にお腹が目立たないのですが、暢子は今何か月なのでしょうか。
で、無事開店となったのはいいのですが、来店する人たちはお馴染みの人たちばかりですね。開店して数時間は暇そうで、お昼過ぎから夕方にかけて、ぼつぼつ人が入るような設定の方が、現実味があるような気がするのですが…。
そして今回は、同じ9月1日放送、そしてその前後の『芋たこなんきん』にも触れておきます。健次郎が脳出血で病院へ搬送され、子供たち、町子、そして晴子が集まって来ます。この中で気づいたと言うか、印象に残った部分をいくつか。
町子「この手を離さへん」 イシ「おかず炊いてるよって」 母親の死がまだ理解できない隆 カレーを作る晴子、だけど味が今一つ 次の日曜日が登の誕生日であることに気づく健次郎 台所に、澄子が買っていた登へのプレゼントを見つける健次郎
町子も講演先の長崎から病院へ急行します。手術は成功したものの、危険な状態が続くためICUに入れられた健次郎。町子は「この手を離さへん」と、その手を取ります。
健次郎の脳裏をかすめているのでしょうか、昭和38年の12月に、健次郎の最初の妻澄子が亡くなるシーンが登場します。葬儀が行われますが、末っ子の亜紀はまだ赤ちゃんで、そのすぐ上の隆も、まだこの状況をよく飲み込めていないようです。そして夕食がまだかと祖母のイシに尋ね、イシは「おかず炊いてるよって」と言いますが、隆はお母ちゃんはカレーだと言っていたと言い、母親をなおも探し回ります。
ところでこの「炊いてる」、普通は「ご飯を炊く」意味で使われますが、大阪のみならず西日本では、煮ることもこのように言います。関東煮(かんとだき)などはその一例でしょう。筑前煮も元々は「ちくぜんだき」のようですし。この『芋たこなんきん』放送時の少し前、民放の読売テレビの報道局の方のサイトで、それに言及されています。ちなみに1582の記事です。
https://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/1501-1600/1581.html
(道浦俊彦/とっておきの話)
その後健次郎の妹晴子が、カレーを作ってあげるのですが、味が今一つらしく、皆調味料でそれぞれ味を自分好みにして食べる始末です。その他にも、澄子がいなくなったため、子供たちの服がどこにあるのかわからない、体操服がなくなった、朝子供たちがなかなか起きて来ないなど、ちょっとした騒動になります。しかも次男の登の誕生日が近いのですが、健次郎はそのことを忘れかけていました。
その健次郎は夜中に台所で、見慣れない紙袋を見つけます。それは澄子が、登の誕生日のために買っていたプレゼントでした。
そして話は1991年、平成3年に戻ります。町子が健次郎の手を握りしめていたその時、健次郎の目から、涙が一筋こぼれます。
ところでこの町子が健次郎の手を離さないシーン、『ちむどんどん』で嘉手刈さんが、結果的に話してしまったものの、戦争中に女の子の手をしっかり握っていようとたという話をどこか思わせます。
しかし設定が違うものの、同じ病院のシーンでこうも違うのかと思わされます。あと家族のために純子が作った弁当、その前の出前の寿司、どちらも美味しそうでした。
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