『ちむどんどん』、今回は気になった点をごくざっと書いておきます。
歌子の歓迎会で鶴見から杉並に駆け付けるあまゆの常連 主役のはずの歌子が買い物をさせられる あまゆの主人順次が酔って「智は暢子のおさがり、お古」と言っているのが、戻って来た歌子に聞こえてしまう 良子と博夫の会話になぜか、2000年代になって登場する「食育」という言葉が出て来る 矢作「(暢子は)フォンターナの厨房でも、一つのことに集中すると周りのことが見えなくなっていた」 なぜか智が、恐らく「ちむどんどん」からそう離れていない場所で、交通事故に遭ったのを知っている三郎 電話口での「瀕死の重体」
まず、あまゆの皆さんも三郎・多江夫妻も、開店前の「ちむどんどん」に、歌子の歓迎会で来ているわけですが、つい先日も試食会でも来ていましたよね、確か…。それと田良島さんは先日『鎌倉殿』で、後鳥羽上皇に拝謁していたのを思い出します。
その歓迎会、酒が足りなくなり、なぜか歌子が智と買いに行かされます。そして戻って来たところ、中で順次が「智は暢子のおさがり」などと言うのを聞いた歌子は、愕然とします。これにはネット上でかなり突っ込みが入っていました。当然でしょうね。第一智は暢子と付き合っていませんし、それに「おさがり」だの「お古」だのという表現も、正直言ってどうかと思いますね。この朝ドラ、それでなくても犯罪とか暴力がよく出て来ますが、今回のこれは「母親の不幸は息子と結婚できない」に匹敵します。
また「食育」ですが、2000年代に入って農林水産省が提案しています。当然この1979年の時点では存在しない言葉です。それでも、ストーリー自体が面白ければ、その当時なかったとしてもまだ許せますが(『芋たこなんきん』ツチノコの週のリセットのように)、こちらはストーリーがあまり楽しめないので余計に気になります。
矢作の暢子に関する指摘は当を得ています。と言うよりもこの場合、
「何か一つのことに集中すると、他のことができなくなる」
も含まれるかと。愛と玉ねぎの皮をむいているシーン、喋ると手が止まっていましたし。
そして三郎から智の交通事故のことを聞かされる暢子ですが、鶴見にいるはずの三郎が、なぜそれを知っていたのでしょう。鶴見の住人のことは、まず三郎に行くのでしょうか。それと「瀕死の重体」、これも突っ込まれていたようです。この場合「瀕死の重傷」かと思われます。
あとあのセット、何度か使い回されていますね。賢秀が我那覇と再会したのもあのセットでした。しかし「瀕死の重体」になるほどの大型車が、ああいう道を走るでしょうか。これは『あさイチ』の朝ドラ受けでも言われていたようです。
それから大河ですが、三谷さんがやっと脱稿したと、先週末の『情報7daysニュースキャスター』でコメントしたとのことですが、やはりガイドブックの発売の遅れは、これと関係しているようです。
個人的に思うのですが、三谷さんはもう大河を書かない方がいいのではないでしょうか。『真田丸』もそうだったかと思いますが、1年間の長丁場ですから、その中でやはり遅れは出るようですし、またコント的シーンも入るし、その一方で歴史の部分にはこだわっていて、それがアンバランスに映る人もいるでしょう。以前三谷大河は、やはり三谷さんのファンに向けられていると書いたことがあります。一言でいえばクセが強めなわけです。それを受け入れられるか受け入れられないかが、評価の分かれ目になるのでしょう。
これは宮藤官九郎氏も似たようなものです。しかし舞台とTVでは観ている層が異なります。書く側としては、日頃書き慣れている舞台の乗りが、どうしても入ってしまうのは無理からぬ話です。とは言え、それにやはり違和感を覚える人は出て来ます。ちなみに、鎌倉殿に批判的な方の文章を見たことがありますが、落としどころが下世話過ぎと評されていました。
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