『武将ジャパン』大河コラム、第33回前半部分への疑問点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第33回「修善寺」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
1.(注・時政の)大柄な体、抜群の発声、権威がそこにある。 それでいて茶目っ気も持ち合わせているのですが、この体制は、権力奪取の過程が後漢の曹操に似てもいます。
かつて後漢は、「三公」という司徒・太尉・司空3名の補佐役が皇帝のもとにいたのですが、これを曹操が廃止し「丞相(じょうしょう)」を復活させ就任。独裁的な政治権力を握りました。
これ『鎌倉殿の13人』のコラムのはずなのですが、なぜここで後漢をわざわざ引っ張り出してくるのでしょうか。
2.鎌倉時代に置き換えるなら、一人の御家人に権力が集中してはいけない――ということで、源頼朝はこのことを警戒していました。
北条は、それをまんまと出しぬいたことになります。
1つ前にも書いていますが、まずこれを最初に持って来て、その後で曹操を持ってくるのなら、まだわからなくもないのですが。それとこの場合、1人の御家人に力を持たせないと、御家人同士がぶつかり合って共倒れともなりかねないので、難しいところではあります。
3.おまえら、避けられているんだってよ。
「調子に乗っているとしっぺ返しを喰らうぞ。親父殿にそう伝えておけ」
そう釘を刺す義村。こいつと飲む酒は苦いですねぇ。美味い酒も不味くなる。
ここの部分ですが、義村のセリフの前に義時が
「そんなことははなから分かっている」
と言っています。時房と違い、俺はわかっていると言いたいわけで、このセリフがあってしかる後に「調子に乗っていると云々」となるわけですが、どうも武者さんは義村との会話になると、義時のセリフを無視してしまうようですね。
4.「執権殿」
そう甘ったるく呼びかけ、これで名実ともに御家人の頂に立ったと甘えるりくです。
執権は代々北条が跡を継ぐのか?と確認しながら、次は政範と見据えるりく。
父ほどの年齢差がある相手に、京都から嫁いできて、念願の男児が授かるまでに何人も女児を産んできた。私だって苦労はしている。
りくにしてみりゃ、その見返りを求めて何が悪い?と言いたいかもしれません。
りくは「名実ともに御家人の頂に立ったと甘える」と言うよりは、時政を持ち上げているのだと思われます。そして「父ほどの年齢差のある相手」以下ですが、ドラマ本編では、それを表すような描写はありませんね。
5.北条は今や仇持ちなのだから、身を守るためには兵が多いに越したことはない――。
典型的な言い訳ですね。自分の身を守るため、より強い力を得ようとして、さらに敵が増えかねない悪循環。
これは1つ前の「頂に立った」と合わせて考えると納得できます。最強の御家人で政所別当であるのに、領地が少なかった以上、比企が支配していた地を受け継いで、地盤固めをしようとするのも無理からぬ話でもあります。北条は、三浦や畠山に比べると小勢力でした。
6.仲章が「いっそ北条を潰しますか?」と尋ねると、実朝は大事にしたいようです。
その上で奴らに取り込まれぬよう教え導く――つまり実朝を自分に都合よく洗脳しようってわけで仲章にもこう命じます。
「鎌倉へくだれ!」
「かしこまりました」
「洗脳する」はないでしょう。このコラム(朝ドラのnoteもですが)、こういう言葉遣いのセンスがどうかと思います。 せめて教育係を送り込み、都側に取り込もうとしたと書くべきでしょうね。
7.なんでも八幡宮の別当が面倒を見ているとのことで、一幡とせつを弔いながらも、生き延びた妻子を気遣う頼家です。
一幡とせつを弔うと書くのであれば、2人の厨子についても触れてほしいです。つまりそれぞれの妻子が、今なお頼家には大事な存在であるものの、しかし実際は弟の実朝が将軍の座についてしまったわけです。
8.しかし、会話を続けるうちに気が高ぶってしまったのでしょうか。
父のことを話し始めます。
頼朝は石橋山での大敗から一ヶ月半で、軍勢を率いて鎌倉入りを果たした。
自分もいずれ鎌倉に戻る。
そして鎌倉を火の海にして、北条の者どもの首を刎ねる。
覚悟して待っておれ。
このままここで朽ち果てるわけにはいかない!
声を荒げる頼家に対し、『はいはい、わかりましたよ』とでも言いたげの義村は、「その通り伝える」とそっけない。
こういう時にメンタルケアをしない。それでこそ義村でしょう。
と言うか、あまりにも状況が違いすぎるでしょう。第一今の頼家に、どれだけの兵力があるかもわからないわけですし、とても鎌倉を火の海にするなど不可能です。 義村はメンタルケアと言うよりは、はなからそれはあり得ないと思っているのだから当然ですね。
9.「んなことわかってるんだ! わしの孫だ!」
そう言い出す時政。
生まれたときのことが目ん玉に残っている。わしだって辛いってよ……って、だからなんだ?とも思ってしまう、それまでの時政の行動よ。
「それまでの時政の行動よ」
て、具体的に何でしょうか。比企を討ったことでしょうか。しかしあの場合は、あくまでも横やりを入れて来る比企を滅ぼしたわけであり、頼家の暴走も目に余るから、本当はあのまま静かに世を去ってほしかったところを、番狂わせが起きたため、修善寺に行かせたわけでしょう。実際比企をあのままにしておいたら、もっと悪い事態を呼び起こしていた可能性もあります。
10.頼家は父・頼朝から学ぶべきことが間違っています。
頼朝は伊豆の地で、じっと無害なふりをしていた。平家が忘れてしまう程ひっそりと生き、ここぞという時にあの髑髏に誓って兵をあげた。
そうできないのが頼家です。
2つ前にも書いていますが、頼家は兵を持ちません(と言っていい)。頼朝が北条に助けられて挙兵し、坂東武者を集めたのとは、時代背景も異なります。同じ条件で語る方が無理でしょう。
11.さらには、まだ(注・頼家を)殺すことが決まったワケじゃないとも言いますが……義時は自分に嘘をついてますね。(中略)頼家の処遇についても「まだ決まらない」とは言っていますが、それは「殺す」という選択肢が根強くあることの裏返しでしょう。
源氏のいない鎌倉なんて、中身のない器のようで虚しい。空っぽだ。それをこうも言い募る。
義時は自分でも答えがわからず、無茶苦茶になっているのかもしれません。
こんな大河主人公はありなのか?
自分が何をしたいのかすら見失っている……もうドラマも後半だというのに。
何もここまで書かなくても、義時は決めあぐねており、しかしいずれは殺すという選択肢を取らざるを得ないことは分かっているはずです。そして厳密には「源氏のいない鎌倉」ではなく、「将軍であった頼家を追放し、世代交代をさせた鎌倉」です。頼家を殺せば、朝廷にも口実を与えることになりかねないからこそ、機会を窺わざるを得ないわけでしょう。
また何をしたいのかではなく、どう出るかで迷っているのですが。そして終盤まで迷いぬいた主人公は他にもいるかと思いますが。
続きはまた次回にて。
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