第32回前半部分です。
頼家は順調に回復していた。しかし北条家の人々は心中穏やかではなかった。りくは既に剃髪しているし、仏門に入ればどうかと言い出す始末で、千幡を立てる方向で進めている以上、最早どうしようもなかった。政子は自分がことを急ぎ過ぎたことを責めるが、一幡が生きていることが救いであると言い、それを聞いた泰時は複雑な表情を浮かべる。義時は、頼家が北条家を許さないことは確かであり、答えは出ているとしてこう言う。
「ここは、頼家様が息を吹き返される前に戻す。それしか道はない」
時政と時房は頼家を見舞う。まだ立ち上がるとふらつくと言う頼家は、自分が死ぬのを願っていたであろう、父上の時と同じだと頭に手をやるが、時房は剃髪は回復を祈ってのことだと言う。しかし頼家は、出家しても政ができぬわけではない、還俗という手もあると言い、せつと一幡に会いたがるが、時房は流行り病であるとその場を取り繕う。
頼家はそれぞれ、鮎ずしと干し柿を見舞いに持って行ってやれと言う。そして能員を呼んでくれと言うが、能員も病であると時房は言い、鎌倉殿もお気をつけくださるようにと言う。一方実衣は尼にはならない、仏様は全成を助けてくれなかったからだと言い、菩提は弔うつもりだった。それも一つの生き方だと義時。
しかし実衣は、比奈も比企の者であると主張し、去って行く。今後のことを尋ねる政子に、義時は伝えたいことがあると言う。つまり一幡は既にいないということだった。義時は、一幡は一旦館を出たが燃え盛る館へ引き返したと説明する。政子は、初めから助ける気などなかった、義高の時と同じ、生きていれば何をするかわからないから葬ったのかと気色ばむ。
政子は弟を平手打ちにし、私の、頼朝様の孫を殺したと感情を露わにするが、義時は冷静にこう返した。
「一幡様にはいてもらっては困るのです」
政子は頼家も殺すつもりかと尋ねるが、義時は首を横に振る。尚も、あなたを信じることはできないとまで言う政子だが、義時は立ち上がり、この度のことを頼家に伝えに行くと言う。政子は自分が話す、これは私の役目だと言う。
義時は、全てをお話しになるおつもりですかと姉に尋ねる。政子は自分だって心得ていると言い、頼家の寝所へと向かう。同じ頃、義時の妻比奈は、夫婦となった時の誓紙を広げていた。
政子は頼家に、比企が滅んだことを伝える。最早せつも一幡もいないことに頼家は戸惑いつつも、なぜだと問い、政子はだれも頼家が回復すると思っておらず、それを悟った比企一族は館に火を放ち、命を絶った、貴方1人を死なせるわけに行かなかったのだと話す。しかし頼家は、なぜ比企一族が死なねばならぬのかを訝しく思い、政子に、本当は何があったのかと問い詰める。
頼家は、北条が比企を滅ぼしたことを感付いていた。政子の言葉に、そんなわけはないではないかと涙を流す頼家に、忘れ、断ち切るように政子は言い、何のために生き長らえたかを考えるように諭す。頼家は善哉についても尋ねるが、善哉は母つつじと三浦館に匿われていた。しかる後に頼家は態度を変え、母に出て行くように迫り、こう叫ぶ。
「北条をわしは絶対に許さん!お前もだ」
そして政子になおも出て行くように言い、泣きじゃくる。
三浦義村は、善哉とつつじの寝所に行き、恐ろしくてと言うつつじに、事はよい方へ向かっていると言う。千幡にもしものことがあれば、次の鎌倉殿は善哉様だと言うのである。時をお待ちくださいと義村。
その頃朝廷では、後鳥羽上皇が双六の駒を床の上に高々と積み重ねていた。そこへ中原親能が鎌倉からの文を持って現れる。文には頼家の危篤とあった。うまい物ばかり食って不養生をしていたのであろうと上皇は素っ気なかったが、弟に継がせる旨の部分を見て、そこにやって来た慈円に、どう思うかを尋ねる。慈円は夢の話を始め、上皇はまたお得意の夢の話かと、どのような内容であるかを聞きたがる。
慈円はその夢によれば、壇ノ浦に沈んだ三種の神器の内、失われた宝剣の代わりが武家の棟梁である鎌倉の将軍であり、新将軍を大事になさいませと進言する。上皇はさらに、千幡が同時に元服すると書かれているのを見て、自分が名付け親になることを決める。頼朝の朝を取り、さらに親能に、板のつなぎ目の出っ張りを何と言うか尋ねるが、親能は答えられない。そこで慈円がすかさず「実」(さね)であると言い、上皇は、京と鎌倉を繋ぐ実となって貰うと、新将軍の諱を実朝と決める。その後上皇は、積み重ねた駒を散らしてしまう。
鎌倉ではりくが、千幡が元服して征夷大将軍となれば、次は御台所であると時政に話していた。流石に早いと時政は言うが、こういうことは早め早めに手を打っておくべきとりくは言い、頼朝はしかるべき御家人の娘をと考えていたが、頼家のこともあり、京から迎えようと提案する。しかもやんごとなき方の血筋でというのが条件だった。
りくは娘婿の平賀朝雅を呼んでいた。朝雅は京都守護となる予定で、京でしかるべき人物を見つけ、息子の政範に迎えに行かせる手はずだった。そこへ朝雅が現れ、来る途中で野菊を摘んで来たとりくに渡して、彼女を喜ばせる。一方比企館の焼け跡を目の当たりにした頼家は、能員がそう易々と討たれるはすはないと考え、仁田忠常と和田義盛を呼びつけ、本当のところはどうであったのかと尋ねる。
義盛は能員が和議の件で呼びつけられ、命を落としたと説明し、忠常もうなずく。頼家は時政が手を下したのかと尋ね。義盛は、誰が手を下したのかはわからないが、命じたのは北条殿であると答える。頼家は2人に、時政の首を持ってくるように言う。戸惑う2人に頼家は言う。
「あいつがやったことは謀反と変わりない。討伐するのだ」
頼家が意識を取り戻したことで、思わぬ番狂わせとなった北条家の人々は、今後のことで話し合います。それぞれがあれこれと自分の考えを述べる中、義時は結論を出していました。
「頼家様が回復する前の状態に戻す」
具体的にどのようにするかは、考えているでしょう。しかし何だか「システム復元」を思わせる言葉です。
ただここで困るのは、頼家に比企のことをどう説明するかでした。まず時政と時房が見舞いに行き、せつも一幡も、そして能員も流行り病である、鎌倉殿もお気をつけてと言います。この辺り、何やら昨今の事情を入れて来ている感じがしなくもありませんが、それはさておき。この頼家が言う鮎ずしとは、発酵させた所謂なれずしのことでしょうね。一方で実衣は、仏様は全成を助けなかったから自分は出家しないと言い、さらに比企の一族である比奈がまだいると言ってその場を去ります。この辺り彼女らしくはあります。
一方政子は、義時から一幡が死んだと聞かされて感情をむき出しにします。無論冷静に考えれば、一幡を生かしておくのが最も北条に取っては危険なのですが、そしてこれは少し前の投稿にも書いていますが、頼朝と自分の孫であるため、特に情にほだされているようです。ただ、その可愛い孫に比企の血が流れているのが、この場合大きな問題ではあるわけですし、そして実際、生きていれば何をするのかわからないとしか言えないのですが…ここで思い出すのが、『真田丸』の阿茶局が大坂冬の陣後の和睦で
「災いの根は摘み取ってしまいましょう」と大蔵卿局に言う、あのシーンです。
政子は、自分が頼家にこのことを伝えると言い、比企一族は頼家がもう蘇生しないと思い、自ら館に火をつけたと話します。しかしこれもちょっと無理があります。そもそも一幡がいるわけですから、逆に一幡を鎌倉殿にするべく、比企一族が動き出す方が自然ですし、実際そうしようとしていたわけです。そして頼家は、ここで比企が滅ぼされたことに気づいていたようで、政子に対しても出て行けと声を荒げます。このような誤魔化し方をするなら、誰かがちゃんと言った方がよさそうな気もしますが。
義村。千幡が鎌倉殿になるのを受けて、もし千幡に何かあれば次は善哉様と、自分の館に善哉共々住まわせているつつじに言います。つつじがそれを聞いて嬉しかったかどうかは、ちょっと疑問ですが。一方朝廷には頼家の危篤、そして実朝の将軍就任を要請する文が届きます。後鳥羽上皇も千幡には期待しているようで、板の継ぎ合わせの「実」(さね)から、実朝という名を与えることにします。
鎌倉殿、そして将軍就任が決まると次は御台所であるとりく。しかしこの大河では、どう見ても時政夫妻が千幡の乳母夫に見えてしまいます。そして娘婿の平賀朝雅が、野菊を持ってりくを訪れますが、なんとも如才なさそうな感じです。と言うか、『ちむどんどん』の田良島さんですね。
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