『ちむどんどん』関連です。実は、今日も『芋たこなんきん』から始める予定だったのですが、生憎12日の分を録画しておらず、日曜日の放送分を録画した後に書こうと思います。
では第90回の気になった点です。
なぜか智にスピーチ そしてなぜ田良島さんが司会? 歌子は来てすぐ振袖に着替えて髪を結ったの? 「お似合いな二人」の意味とは フォンターナの店名の由来ですが、この場合フォンテの方かと なぜか顔を合わせない両家の母 琉装のお色直してそう簡単にできるものなの? 私も琉装になどと言い出す重子、「住む世界」が同じになった? 歌子はまた『椰子の実』。 そばとかシークワーサーは汁が飛ばないでしょうか 暢子の爆弾発言
今回は丸々結婚式と言うか披露宴でしたが、最初の階段を降りて来るシーン、何だか危なっかしく見えてしまいます。ベールを持っているトミさんも大変ですね。あと久々に早苗の登場、だけど善一さんも賢吉さんも来ていません。比嘉家が一番お世話になっている人たちのはず、なのですが。また、青柳家関連は重子と波子だけなのでしょうか。
あと、お客として呼ばれていたはずの田良島さんが司会なのですか。しかしこの披露宴、人数が少ないせいもあり、またあまり広いとは言えないレストランが会場で、平服姿の人もいるせいか、普通の宴会のように見えてしまうところがあります。新郎新婦がいて両家の母親が留袖姿だから、結婚披露宴だなと一応わかるわけですが。
そして智のスピーチ。ここのシーン、どうも智がさらし者にされているように見えてしまいます。しかもなぜかスーツを着ているし、名札も(元々賢秀の席だったとは言え)準備されているし。しかもおめでとうと言わざるを得ないし。何とか乗り切った辺りは、「男、智」と言っておきましょう。尤も、最後の「お似合いな二人」と言うのに、何やら寓意が込められているようでもあり…。
それから房子の祝辞。ここでニーチェの「深く掘れ、そこに泉あり」が、店名の由来になったと話していますが、この場合の泉とは、源泉のような意味であるかと思います。それをイタリア語に直すのなら、フォンターナでなく「フォンテ」ではないかと、ツイートでも指摘がありました。ところでニーチェと言えば、ルサンチマンという言葉を生み出した人物でもあります。弱者が強者に対して抱くネガティブな感情のことですね。
そして琉装のお色直しですが、通常は和装(この場合は琉装)が先、洋装が後というのが一般的です。後に和装を持って来ると、着替えに時間がかかり、その間お客を待たせてしまうためです。かなり前、在日韓国人の女性の結婚について何かで観たことがありますが、その場合も民族衣装が先でドレスが後でした。
着替え関連でもうひとつ。歌子が到着してそう時間が経ってもいないのに、もう髪を結って振袖を着ていますが、これもそこそこ時間がかかるでしょう。あまりこういうことは言いたくはないのですが、女性の脚本家ならあるいはその辺りを考えたかとも思います(あくまでも個人の考えです)。
それで思い出すのですが、これもかなり前、男性の作家の小説で、着物を着るためにアップにしていた髪をほどいて、そのまま外に出て行くという描写を目にしたことがあります。結い方や髪質にもよるでしょうが、アップにしてほどいた髪はもう一度セットし直さないと、とてもそのままでは出て行けません。
それとこれも着物関連ですが、汁そばが出されたり、シークワーサーをそのまま齧ったりするシーンが出て来ます。しかしこういうのは汁が飛びますし、着物とか正装に飛んだりすると、しみになってしまうことがあります。その点が考えられていないような気がします。魚料理などにレモンを絞る時は、手を添えて汁が飛ばないようにしますが、この場合はそうもできませんからね。
で、最後の最後に思いがけないというか、暢子なら寧ろ当然かも知れないと思われるシーンが登場です。
恐らく、沖縄料理を楽しむ人たちを見て思いついたのでしょう。暢子は皆に向かってこう言います。
「うちは、沖縄料理のお店を開きます!」
一瞬にしてその場が固まった感があります。もちろん会場に姿を見せていた房子も二ツ橋もです。 今までのイタリアンの修業は何だったのでしょう、これなら、あまゆで働いた方がよかったのではないでしょうか-無論、イタリアンの修業が全くよくなかったとは言いませんが。それと房子の許可もまだ得ていないと思われるのに、こういう形で発表してしまうのですね。
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