『武将ジャパン』大河コラム、後半部分の疑問に思われる点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第30回「全成の確率」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/08/08/170161
1.御所では、またもや所領の揉め事が持ち込まれていました。
あまりにこの手の訴えが多いのでしょう。皆うんざりした顔をしています。
と言うより、この所領の揉め事が多いのが、宿老たちの合議が始まった一因と言うべきでしょう。
2.三浦一族の佐原義連から「連」をもらったけど「つら」ってなんだ――そう思ってたってよ。
佐原(三浦)義連が烏帽子親となって、連の字を与えたことは事実ですが、ただそのシーン、あるいは佐原(三浦)義連の名前はドラマ本編には登場していませんね。
3.全成の流刑先に向かい、鎌倉に戻りたいだろうと告げます。戻してやってもいいと思っているとか。
そのうえで、鎌倉殿のやり方に不満が募っているという。実衣が危ういという。
そして人形の入った包みを投げてきます。
ここのところ、かなり省かれていますね。
まず「鎌倉殿のやり方に不満が募っている」というセリフは出て来ません。
能員は
「かわいそうだがお許しいただける日が来ると思うな」
「あの方のお怒りはそれほど大きかったということだ」
と言い、全成にプレッシャーをかけて来ます。
その上で実衣が危うい、なぜならば鎌倉殿は、実衣がそそのかしたと疑っているとさらにプレッシャーをかけ、然る後に包みを投げるわけです。またこの包みですが人形ではなく、人形を作るための道具が入っているようですね。
4.全成は縄を打たれ、読経しながら引き立てられてきます。
この場合は真言を唱えているかと思います。真言は一種の呪文とされており、私は自分の投稿では呪文と一応書いています。
5.そして刀が振り上げられたところ、なんと雷が落ちて致命傷にはなりません。
ここもちょっとわかりづらい。つまり雷が落ちて執行人の手元が狂い、全成は致命傷を負わなかったわけです。
6.日蓮の「龍ノ口法難」とは異なり、全成は落命してしまいました。
でも、最期に奇跡を起こしたことで、最愛の妻の信愛はより強くなりました。
全成の祈祷は、命を守れなくても、愛は守った。
半分失敗で、半分成功といえるのかもしれない。そんな最期でした。
私もこのシーン、日蓮を思い出しました。
それから実衣の全成への愛ですが、この部分よりも、寧ろ全成が危険だとわかりつつ呪詛を再び行おうとするシーンに、実衣への愛を感じたと言っておきます。
しかし実衣は割と利用されやすい人物ですね。彼女の立ち位置も関係しているのかも知れません。
7.米の収穫を木簡で数えることが好きだった、あの伊豆の青年が、苦難というのみで削られ、仕上がってゆきます。
好きだったと言うより、それが仕事だったからです。そしてそういう実務に向いていた若者が、頼朝の側近となるにつれ、勢い現実と向き合わなければならなくなりました。
で、ここでまた『麒麟がくる』です。
「『麒麟がくる』の明智光秀も、どんどん時間の経過とともに削られてゆきました。
光秀とこの義時の違いは、どこへ向かうのか、ビジョンがないところ。火の粉を振り払ううちに、何かが変わってゆきます」
別に『麒麟がくる』のみならず、武者さんの嫌いな『西郷どん』も『青天を衝け』も、主人公がも否応なしに現実に向き合い、己の行く道を模索することになるわけですが、こういう作品の主人公は出てこないのですね。
8.義時は変わる一方で、政子は何か変わらない、北極星のような不動のものを感じます。
この姉の周りを回るのが、弟の義時であると。
「周りを回る」という表現なら、太陽とその周りを回る惑星の関係がふさわしいかと思うのですが。
あと政子が「私も考えます」と1人つぶやくところから、彼女も何かを決意したのではないでしょうか。
9.父である頼朝は、義経の首桶にしがみつき泣き叫んでいました。頼家はそんな風にストレス発散できることもなく、毒として体内に溜まっているように思えます。
頼朝と義経の関係と、全成と頼家の関係では大きく異なりますね。頼家にしてみれば、舅でもある能員が仕組んだことであり、何かとばっちりを受けたように感じたかも知れません。
10.この二人は理想的であるし、義時も比奈も賢くて優しい。けれども、何かしっくりこないものがあるように思えます。義時は八重の時ほど開けっぴろげに妻を愛せないのかもしれない。
家の都合で妻すら愛せない義時。圧倒的な孤独を感じます。
賢くて優しいと言うか、北条と比企の関係である以上、どこか他人行儀的なものを私は感じます。そして ここまで北条と比企が対立した以上、義時もほぞを固めたと言うべきでしょうか。 寧ろ義時が感じたのは、そのような関係である以上、自分が幕府の中でより重要な存在になるに連れて、普通の夫婦関係でいられなくなるその辛さではないでしょうか。これも一種の政略結婚ではありますし。
11.比企能員を廊下で呼び止める義時。
全成に呪詛を唆したのではないかと問い詰めます。
義時は「全成に呪詛を唆したのではないか」とは言っていませんね。
まず呪詛の道具を全成に渡した者がいると言い、その次に鎌倉を離れましたねと言っています。武者さん、この部分の少し前で、
「三谷さんが元々好きで大得意の、ミステリ劇の手法をふんだんに使っています」
と書くのであれば、こういうミステリ的な問い詰め方をできるだけ略せずに書いてください。
12.ふてぶてしい能員。佐藤二朗さんがあらん限りの憎々しさを出してきました。
このドラマを見ていると、半分本気で彼に憎しみを覚える人もいるかもしれない。
実際演じている俳優さんが、その役にダブってしまうということはよくあります。
これとはまた別ですが、『ちむどんどん』関連で、これと似た意見を目にしたことがあります。
13.ここが当時らしい価値観といえるのが、忠誠心が感じられないところです。
こういうことを言われたら、忠義を疑うのか!と、後世の武士ならば怒り出しそうではある。幕末なら確実にそうなりそうだ。
しかし、よくも悪くも当時の武士は利益がないと動かず、やりがい搾取は通じません。
所謂後世の武士道的なものはまだないのだから当然です。
と言うより、戦国時代頃まではこういうものでしょう。戦闘員であったからこそ、損得勘定にも聡くなければならなかったはずですから。無論御恩と奉公という概念はありましたが。
14.「ようやく分かったのです。このようなことを二度と起こさぬために何をなすべきか。鎌倉殿のもとで悪い根を断ち切る、この私が!」
大河主人公が、怒涛の敵抹殺宣言しましたのぅ。
別に、他の大河主人公でも似たようなことを口にしていると言うか、この手の見得を切っていることは多いものですが。多少意味合いが異なりますが、『軍師官兵衛』の「御武運が開けた」などもこれに類したものでしょう。
15.若き鎌倉殿は、病に冒されていたのでしょうか。
不摂生がたたったという見方もありますし、この当時の高位の人々の病気はわかりにくいですね。診断書があるわけでもありませんから。
続きはまた改めて。
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