日に日に「ありえない描写」がパワーアップしている感があります。では気になる点です。
暢子を幸せにするために、三郎と房子のことを知る必要があると言う和彦 房子のことは捨てた、レストラン経営の噂は聞いたと言いつつ、暢子にフォンターナを紹介した三郎 房子のために酒を断ったと三郎は言うが、多江のことはどうでもいいの? 権田が明日来ると言われて、自分も同席すると言う暢子 暢子の立て続けの「アキサミヨー」 「諦めるしかない」を言わせるために食べ物を腐らせる設定は如何なものか 前の晩に暢子から話を聞いて、翌日の朝もう鶴見にいる良子 あまゆをフォンターナと間違える良子 しかも入ってくるなり早々に、なぜ警察に届けないのかと言い、多江をおばさん呼ばわりする良子 雑誌をメガホン代わりにする暢子
和彦が三郎と、暢子が房子と話して、それぞれの過去がわかるわけですが、しかしなぜ和彦に取って三郎の話を聞くのが「暢子を幸せにする」ことになるのでしょうか。要は「住む世界が違う」同士が結婚することに、不安を抱いているからとも取れますが、それとこれとはまた違うのではないかと。結局相談することなく、三郎の話を聞いただけで終わりましたが。
それとこの2人の話にかなり尺を割いていますが、ここまで時間を取るのであれば、この世代の人たちのことを何週間かに渡って描いた方がいいのではないでしょうか。セリフだけの説明だけでなく、賢三もまじえて、その当時の鶴見の人々の生活を綴って行くべきでしたね。第一年表がないと、この頃の展開がわかりづらいです。それもあって、ツイートに年表を添付してくださっている方もいます。ただこういうのは、公式サイトでやるべきでしょう。
しかし三郎さん、房子のために酒断ちをしたりしていますが、この人には多江さんという奥さんがいて、今も夫婦仲は円満なようです。この人が独身で、昔好きだった女性のために酒を飲まないのであればまだわかるのですが。
そして暢子。権田が来ると言われて自分もいたがるわけですが、この回の放送時点で、なぜ暢子がそこにいないといけないのか、その理由がまるでわかりません。矢作の辞職は自分にも責任があると思っているのでしょうか、しかし普段の言動から見てそうとは考えにくいのです。
その暢子は「アキサミヨー」を連発していますが、そこまで頻繁に使う言葉なのでしょうか。これもちょっとよくわかりません。あと良子が来た時に、雑誌をメガホンみたいに丸めるのも、何だかコントを見せられているようです。
で、良子です。この人が出てくる様子が何とも強烈でした。翌朝はもう鶴見にいるとは、まるで名護が鶴見の隣にあるかのようです。和彦が沖縄まで、あたかも瞬間移動のようにして行っていたのを思い出します。しかもなぜあまゆ?彼女は先日フォンターナに電話をしているはずなのですが。そしてあの時間まで暢子がいると言うことは、フォンターナで何かがあったと普通考えないでしょうか。
しかも入って来るなりろくに挨拶もせず、多江をおばさん呼ばわりするなど、多江やあまゆの人たちからすれば「あなた誰?」状態でしょう。そもそもそこフォンターナじゃないし。無論良子にこう言わせることで、フォンターナの件をあまゆの人たちに知らせる目的が制作側にあるわけですが、やり方がどうも今一つですね。前にちょっと書きましたが、主人公の代弁者が必ずいるわけですし。
それと暢子。権田が店に来てその場に同席するわけですから、いつもの出勤とは違うわけです。もう少し、きちんとした格好でもよかったのではないでしょうか。あと二ツ橋の登場シーンが、西部劇風なのには笑いました。そう言えば『芋たこなんきん』では、ハリウッドの西部劇に出演した俳優が、北天満を歩く設定になっていましたね。
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