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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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ラグビーワールドカップと日本代表

引き続き、ラグビー関連です。ラグビーのワールドカップが始まったのは、1987年とかなり遅く、当時は選手はアマチュアであったため、強化や出場のための日程確保がうまくできないというトラブルもありました。その後、1995年、南アフリカ大会後にプロが認められ、その後南ア、ニュージーランド(NZ)、オーストラリア(豪州)を中心にプロ契約する選手が増えて行きました。イギリスの各ユニオン(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド-ラグビーの場合南北の区別は無し)もプロ化を進め、1999年大会では、かなり多くの国の代表選手がプロ契約をして、ラグビーで生活するようになっていました。

さて日本です。日本の場合はかつては軍隊と大学がメインで、第二次大戦後も大学がラグビー界を引っ張って行く傾向がありましたが、その一方で社会人のリーグが台頭し、大学生と実力面で大きな差をつけて行くようになりました。しかし彼らはあくまでも「企業アマチュア」であり、会社員としての制約のある中でのプレイであったため、代表強化がままならず、そのため日本は、諸外国からは、善戦していいプレイをするけど、勝てないチームの印象が強くなっていました。これを打ち破ったのが 、1989年に代表監督に就任した宿澤広朗(ひろあき)氏は、理論的なコーチングを採り入れ、1991年大会では、スコットランドとアイルランドに負けたものの、ジンバブエからは1勝を挙げました。やっと軌道に乗りかかって来た代表だけに、ファンの中には、宿澤氏の続投を望む声もありましたが、当時住友銀行(現・三井住友銀行)の支店長として多忙であった宿澤氏は、大会後勇退しました。

しかしその後の代表監督は、ワールドカップのみならず、普通の国際試合(テストマッチ)でも、なかなかチームを勝たせられないようになりました。無論それぞれの監督は、勝たせるつもりで、自分なりの方法論を編み出していたのでしょうが、肝心の檜舞台で勝たせられない、あるいは惨敗させるようでは、当然ながらファンは離れて行きます。かつての名選手、平尾誠二氏が監督を務めた時も、チームはやる気はあるのに、戦法を決められなかったためうまく機能しませんでした。そして、2000年のアイルランド遠征でチームは大敗を喫し、平尾氏は退任、そしてチームそのものの強化方針が見直されることになりました。また社会人のチームが再編され、トップリーグが誕生し、選手のプロ契約も認められるようになりました。

この時、91年大会で監督を務めた宿澤氏は、強化委員長として再び代表強化の場に戻って来ました。監督はかつての代表である向井昭吾氏で、この時新たに代表選手を「出向」という形で拘束し、強化や試合に参加させるシステムができました。しかしその任期中に行われた2003年大会では、チームが頑張ったものの勝てませんでした。ただこれを機に、日本ラグビーフットボール協会も、代表を頂点としてヒエラルキーを模索し始めましたが、向井氏の後任である萩本光威監督は、若手起用でまた強豪相手に大敗を喫し、その後外国人ヘッドコーチ(HC)が採用されることになりました。そして2007年大会、かつてのNZオールブラックスのウィングで、NECグリーンロケッツでプレイしたことのあるジョン・カーワン氏率いるチームは、カナダ相手に引き分けに持ち込み、ワールドカップでの連敗に終止符を打ちました。 

日本代表チームは2011年、 カーワンHCの母国、NZでの大会に臨み、この時もカナダと対戦してまたもドローに持ち込みましたが、やはり勝利はなりませんでした。ちなみにこの時、一部の選手は実家が東日本大震災に遭い、家を流されたり、避難をしたりという状況の中での参加でした。またNZもその年の2月に、クライストチャーチで地震が起きていたため、日本とNZの試合の前には、犠牲者への黙祷が行われました。この大会後カーワン氏は母国のクラブのコーチとなり、エディ・ジョーンズ氏がHCに就任しました。このジョーンズ氏は豊富な指導歴があり、クラブの監督を務めた後、2003年のワールドカップで母国豪州を準優勝に導き、2007年大会では、優勝した南アの強化スタッフでした。日本でも、トップリーグのサントリーサンゴリアスのアドバイザーを務めていました。

ラグビーの場合は、所属協会主義が採られています。パスポートに関わらず、ある協会の傘下にあるクラブチームで一定期間プレイすると、その協会の代表チーム(実質国代表チーム)に選ばれる権利が与えられるというものです。ラグビー代表に外国人がいるのはこのためです。しかも日本のパスポートを持っていなくても、代表としてプレイができるわけですが、トンガの場合は二重国籍が認められており、しかも、日本のパスポートを持っていると色々便利だからというので、最近では帰化するトンガ出身選手もいます。

今回の対南ア戦の勝因は様々で、日本のプレイがよかったからとも、南アにミスがあったからとも、また、終了近くにシンビン(イエローカード、ラグビーの場合は10分間の退場で、アイスホッケーのペナルティボックスのようなもの)で選手が退場したことが大きく響いたともいわれています。加えて、田中史朗(ふみあき)、堀江翔太といった一部の選手は、日本のオフシーズンに海外、特に南半球の「スーパーラグビー」でプレイしていて、その現場の厳しさを実感していたのが、チーム全体にいい影響をもたらしたようです。このスーパーラグビーには、日本も今後参加予定となっています。

宿澤氏は2006年6月、赤城山登山中に心筋梗塞のため急逝されました。享年55歳。また、早稲田で2学年後輩の石塚武生氏は2009年8月にやはり急逝、そして、慶應の監督を務めたこともある上田昭夫氏は、今年の7月に亡くなられました。これについてはこの記事で触れています。お三方に、この勝利を見ていただきたかったです。

興味がある方はこちらもどうぞ。
日本代表選手メンバー表 (日本ラグビーフットボール協会公式サイト)
歴史的勝利から一夜明けて (ラグビージャーナリスト村上晃一氏ブログ)



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[ 2015/09/21 00:12 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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