『武将ジャパン』大河コラム後半部分続き(その2)です。
1.「一幡をお助けください!」
そう言われる義時ですが……この構図がゾッとしてしまう。後に酷い展開が待ち受けていますので覚えておくことオススメです。
景時が比企館に立てこもるシーンですが、「後に酷い展開が待ち受けています」て、具体的に何のことでしょうね。
2.そう言いながら、差し出したのは、なんと善児!
義時にとっては兄・宗時だけでなく、舅であり祖父である祐親とその子の祐清、八重の子である千鶴丸の仇になるのですが、それを忘れて使いこなすということでしょうか。
もはや人間というより、何かの象徴のように思えてきます。
「何かの象徴」というのもよくわからないのですが…つまり善児は「人間」ではなく「殺人のための道具」とでも武者さんは言いたいのでしょうか。実際道具と言っていいところはあります。但し義時にしてみれば、単に仇だけではなく、奥州に行った際に同行し、自分を藤原国衡から守ってくれてもいますから、余計複雑な心境でしょう。
3.死後もそうでして、義経を陥れる悪党としてさんざん悪役にされてきました。
それをどう落とし込むのか?
考え抜いた果ての、三谷氏ならではの解釈を見た気がします。
この作品の景時は優れていた。戦略家としては義経より合理的なこともしばしばあった。
景時が嫌われたのは、時代の先を行き過ぎていたのかと思えました。別の時代ならば、ここまで嫌われなかったかもしれない。
この景時ですが、近年は特に「義経を陥れる悪党」という見方は影を潜めています。別に三谷さんだからこういう解釈をしたと言うわけではありません。それと「時代の先を行き過ぎていた」とか「別の時代ならば」とありますが、景時が特に時代の先を行く優れた才能を持っていたのでしょうか。ならばそれをはっきり書いてほしいものです。私としては、彼の性格やものの考えに於いて、他の御家人たちとそりが合わなかっただろうとは思っています。
4.景時はなぜ嫌われたのか? その美点は何か?
そう考えるだけで頭をものすごく使う。それが歴史を学ぶおもしろさだと思える。
そういう歴史を学ぶ醍醐味がみっちり詰まった人物像でした。
「そう考えるだけで頭をものすごく使う」て、他の人物や時代背景に着いても、色々考えることはあると思いますが…。そしてそういう醍醐味は、他の大河でも同じことです。武者さんの嫌いな大河であっても。
5.でも、もっと見たいというのとは違う。
完成度が高いから、これで充分満足です。
すごいものを見られました。大河はこういうものかと圧倒されました。
「なぜ」完成度が高いと感じるのかも、「どのように」すごいのかも書かれていないのですね。特にこのコラムでは、「すごい」という表現がやけに使われますが、何とも幼稚な気がします。
6.今回登場した安達景盛は、頼家と不仲とされます。
その背景として、頼朝落胤説があります。頼家からすれば異母兄にあたるゆえ、対立が激化したというのです。
(中略)
こう考えているのは、実は当時の人々もそうでした。
景盛の孫の代、泰盛のとき、源氏の血を引くとアピールするようなことをして、【霜月騒動】につながり、安達家が破滅する一因となっています。
死後も祟る頼朝の女遊び。
ちなみに、結城朝光も頼朝の子であるという説がありますね。
あと「霜月騒動」といえば、何と言っても『太平記』の最初の方で登場しますが、1991年の大河だから武者さんは観ていないでしょうか。『麒麟がくる』の池端俊策氏の脚本で、個人的にはこちらの方が優れていると思います。
7.えげつない。なんていやらしくてけしからんのだ!
そう呻きたくなるほどの妖艶さが先週からありましたね。
いやらしいというのは、誰かが裸で登場すればいいってもんじゃない。露出度より心の問題で、恋に落ちる瞬間がいやらしいのです。
妖艶かどうかはともかく、ここでこのように書かれている以上、下ネタ的な「いやらしい」と違うことは察しがつきます。ただそこまで「恋に落ちる」瞬間が素晴らしいとは、私は思いませんでしたが。
8.それが爛れていて崩れているからこそ、どうしようもなかったのが、先週からの実衣ですわ。
既婚者が琵琶を習って心惹かれる。そんなけしからんことがあっていいものか?
いやらしい、なんということかと戸惑いました。
けだるげに琵琶の弦を鳴らす実衣なんてもう、触れたら花びらがホロホロとくずれてきた花のようで。こういう人妻を倫落だのなんだの言うのです。ものすごいエロスがありました。
このシーン、実衣が琵琶を朝光に習っており、その「師匠」である朝光に憎からぬ思いを抱き、それを夫全成が恨めしそうに見ているわけですが、生憎そこまで「エロス」を感じませんでした。朝光を失いたくない実衣の気持ちは寧ろ、例の訴状の陰謀を義村が企てる、そのシーンの方に現れていたように思います。
それと
「触れたら花びらがホロホロとくずれてきた花のよう」
好きな大河ならこういう表現をするものの、嫌いな大河だと一言もこういう表現は使いませんね。昨年の お千代にも、こういう表現をしてほしかったなあ…尤もお千代は実衣よりもっと凛としていますが。
あと琵琶の弾き方と恋心、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』に、そういうシーンがなかったでしょうか。もちろんあちらの方はリュートです。元々リュートと琵琶は同じですけどね。
9.いま、東洋の伝統楽器を弾く美男はちょっとしたブーム。華流の『陳情令』が代表例です。
そういう流れに乗ったというわけではないでしょう。ともあれ、伝統楽器を奏でる人は美しく魅力的だと示しました。このドラマに琵琶が出て本当によかったと思います。
このドラマには歴史を学ぶ醍醐味を思い出させる要素があまりに多い。
そこがいやらしくて、けしからんのかもしれない。
はっきり言って、今年の大河は面白いのです。
すみません、この『陳情令』、華流ドラマを観ないので何のことだかわかりませんでした。
そして
「このドラマには歴史を学ぶ醍醐味を思い出させる要素があまりに多い」
いやこのドラマだけでなく、昨年のを含め武者さんが嫌いな作品であっても、「歴史を学ぶ醍醐味を思い出させる」作品はあるのですが、それに気づいていないか敢えて書かないかだけでしょう。あと「醍醐味」は一般には「感じる」または「味わう」ものかと思います。
それと
「はっきり言って、今年の大河は面白いのです」
面白ければ、別にここまで強調する必要もないかと思うのですが。こう書くところにちょっと不自然さを感じてしまいます。
あと三浦義村関連でもうひとつ。
10.『麒麟がくる』の織田信長は、プレゼント感覚で生首を箱詰めにしていました。それとは異なるカジュアルな残酷さが三浦義村にはあります。
この生首は、第43回の「闇に光る樹」で登場するものでしょうか。あの生首ですが、箱ではなく、壺に入っていなかったでしょうか。
そして「それとは異なるカジュアルな残酷さ」とは何のことでしょうか。要は、信長は自己顕示欲丸出しといった感じで、光秀と藤孝に相手方の首を見せたわけですが、義村の方は、寧ろそれとは反対に、ひたすら黒子に徹することで、自分の存在が知られることなしに、景時を追い出すことに成功したのだと思いますが。
それからこのコラムで、やけに「政略結婚」的な表現が使われていますが、身分が高い武家の場合は至極当たり前に行われていました。『葵 徳川三代』に関しては先日も書きましたが、まだ年端もゆかぬ娘たちが縁組みさせられ、両親と別れています。無論この鎌倉時代も、他の御家人や公家に嫁ぐということはありましたし、義時も娘を公卿と結婚させています。
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