『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点、前半部分です。今回より疑問点を、原文の次に持って来るスタイルに改めています(度々変わってすみません)
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第28回「名刀の主」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
1.視聴者の皆様は、まさか十三人の合議制を参考にしたビジネスなんて考えていませんよね? 崩壊しますよ!13人をモチーフにした、大河土産のお菓子などもありますが、思わず「滅びる順に食べるのか?」と突っ込んでしまいますよ。
正直言って大きなお世話だと思います。誰がどういうビジネスを考えようが、13人をモチーフにしたお菓子を食べようがそれぞれの勝手であり、これでは業者や、果ては番組そのものへの誹謗中傷となりかねません。
2.北条頼時が考えすぎだと困惑し、北条時連が止めています。
どうやら頼時は直言する傾向があるようですね。時連は調和タイプ。今後、頼時は父・義時ともぶつかるかもしれません。
源頼家は、風紀を乱す者を取り締まるため、腕の立つものを選んだと言い出します。
そして時連を気遣い、誰よりも若いが臆するなと励まします。存分に暴れていいってよ。
「かしこまりました」
そう返す時連。頼家側近の中ではちょっと歳上だと語っていたのに、最年少扱いをされております。
童顔だからさ。
いや、そんなことより、側近の特徴すら把握していない頼家のヤバさが浮かび上がってきますね。
ここのところですが、まず「さっそく仕事に取りかかってもらう、まずは見回りだ」と言っていますし、彼らに「しっかりやってこい」とも言っていて、頼家は頼家なりに「仕事」に取りかかっている、あるいは取りかかっていると思っていたいのでしょう。それと側近の特徴すら把握していないとありますが、特徴と年齢は違うのではないかと。
あと時連の方が頼時より若く見えるのは事実です。実際は時連の方が8歳上でした。また、瀬戸さんは坂口さんより実年齢では3歳年上です。
3.道を掃除して、迷い犬の飼い主を探すなどをしているようです。当時の野犬は弓の練習台とされ、射殺されかねませんので、まぁ人道的ではありますね。
犬追物のことでしょうか。この場合は、犬を傷つけないために特殊な矢を用いて行われていました。 寧ろ、飼い主がいなくて野犬化する方が問題だったとも思えます。
4.源頼家と政子の二女である三幡が亡くなりました。
ショックが大き過ぎたのか。乳母夫であった中原親能は出家し、そのまま鎌倉を離脱。13人のうち早くも一人が脱落してしまいます。
まず「頼家と政子」ではなく、「頼朝と政子」ですね。
そして中原親能ですが、この当時乳母夫、あるいは家人として仕えていた主君(この場合は姫君)が亡くなると、出家することも珍しくなかったのではないでしょうか。安達盛長もその一例かと。
5.政子は、頼朝が亡くなってからどのくらい経過したのか尋ね、義時が半年だというと、(頼朝が三幡を)連れて行かれたのかと言い出します。
そんなふうに考えるのはよしましょうと告げるしかない義時。
中世は迷信が強い時代ですので、下手をすれば大事になってしまいます。
身内を立て続けに失っているわけですから、政子もそう思ってはいるでしょう。それと
「中世は迷信が強い時代ですので、下手をすれば大事になってしまいます」
何が、どのように「大事」になるのでしょうか。
6.頼家は妹を入内させられなかったことを残念がり、自ら朝廷との結びつきを強くすると約束します。
しかし、それは母が欲しかった言葉なのか?
大姫の時点で、政子は入内のことにもう疲れ果てていた。政略結婚の道具にすることに嫌気がさしていた。
そういう気持ちに寄り添わず、政治のことばかりを口にする頼家。
頼家はズレてしまってます。
情理という要素を履き違えている。理屈で考えるべきどころで、感情をむき出しにする。感情を見せるなり、相手の感情に寄り添うべきところで、道理を説く。
不幸なボタンの掛け違えが起きているのです。どうして妹の死を労わる言葉が出てこないのでしょうか。
頼家は「ズレて」いるでしょうか?この場合、三幡を入内させられなかった、兄として、将軍としてすまなかったというのが、彼に取って妹を弔う言葉ではなかったのでしょうか。そして政略結婚云々と言っても、公家や征夷大将軍の娘に取って、それは宿命と言うべきものでした。『葵 徳川三代』の秀忠の娘たちを見れば、とてもそんなことを言ってはいられないのですが、武者さんは10年ルールがあるから観ていないかも知れません。
(その割に、40年ほど前の大河をいきなり引き合いに出したりしていますが)
それから、この部分でひとつ言いたいことがあります。
「情理という要素を履き違えている。理屈で考えるべきどころで、感情をむき出しにする。感情を見せるなり、相手の感情に寄り添うべきところで、道理を説く」
とあるのですが、
「幸せという要素を履き違えている。理屈で考えるべきところで、感情をむき出しにする。感情を見せるなり、相手の感情に寄り添うべきところで、自分を優先させたがる」
のが今の朝ドラの主人公のように見えます。
7.忠常はまだまだ若い鎌倉殿である頼家に期待を寄せるものの
「まだまだ若い鎌倉殿に期待」ではなく、「これからです。鎌倉殿はまだお若い」と言い、もっと長い目で見てあげようというのが忠常の考えのようです。
8.弓を射ながら、そう口にする朝光。それをじっと善児が聞いていました。
「じっと善児が聞いていました」だと、あたかもかなり前から善児が控えている、あるいは隠れているように見えますが、実際のところ画面には不意に登場して、朝光に矢を渡しています。無論景時に言われてのことでしょう。
9.忠臣は二君に仕えず――この言葉は昨年の大河でも聞きたかった。
明治になったぞ、さあ維新政府に仕えよう!
と、幕臣たちがそう簡単にホイホイできなかったのは、こういう道徳規範が叩き込まれていたからです。
せめて渋沢栄一が眉をしかめ、苦渋の決断の末、そう言いながら自分の道を進めばよかった。
「胸がぐるぐるする!」とか「おかしれぇ!」を行動原理にしてしまうと、幼稚な青少年を見ているようで、恥ずかしい気持ちにさせられてしまったものです。
武者さん、この言葉に反応してくるだろうなと思っていました。
この栄一観
「『胸がぐるぐるする!』とか『おかしれぇ!』を行動原理にしてしまうと、幼稚な青少年を見ているようで、恥ずかしい気持ちにさせられてしまったものです」
にももちろん疑問ありですが、今回はもう1度、これを引き合いに出させていただきます。
「『アキサミヨー」とか『まさかやー」ばかりで行動してしまうと、幼稚な女の子を見ているようで、恥ずかしいというよりは、苛々した気持ちにさせられます」
10.「鎌倉殿はご存じなのか」と聞き、最後に「冷めてから食べると気持ち悪くならない」と一応の助言はします。今週もマウンティングに忙しい正室と側室ですのぅ。
せつのセリフですが、ここでも先輩風を吹かせると同時に、もし子供が男だったらと思ったかも知れませんね。あと正室のつつじの方は、別にマウンティングはしていないと思います。
11.義経が政子の膝枕をしていた時とはワケが違います。
相手は人妻。狩りは武士の力を示す機会と言いつつ、人妻の膝枕とはいったい何事なんでしょうか。
頼家は武士としてのふるまいという理論武装だけはしているけれども、自分の感情にひきずられて女とこうしています。本音と建前の薄寒い使い分けが露わになっていてきついものがある。
むしろ頼家がわかりやすく人妻に襲い掛かっている方が、愚かだと強調できます。
「狩りは武士の力を示す機会と言いつつ、人妻の膝枕とはいったい何事なんでしょうか。
頼家は武士としてのふるまいという理論武装だけはしているけれども、自分の感情にひきずられて女とこうしています」
とありますが、この当時ある程度権力のある武士なら、そこまでおかしな行動にも見えません。
そして頼家としては、例の宿老=13人に仕事を取られたようで、やり場のなさをこういう形で埋めているとも考えられます。 あとこのゆうは、ここで既に安達景盛の妻と紹介されていますね。
12.義時は、八重への思いを秘めたまま、持ち続けていた。義時ならば、思うだけで実力行使はしない。
義村は、さっさと切り替えができる。義村ならばこんなめんどくさいことになったら諦めるでしょう。
頼家は征夷大将軍です。彼ら御家人とはまた立場が違うし、寧ろ将軍だからこそ面倒なことにもなりつつあるのでしょう。やり方はよくないとは思いますが。
13.いずれにせよ「大事にするから譲れ」と頼む頼家。時連は傍観するだけ。頼時とは違うようです。
「できませぬ!」
そう断られた頼家は、外堀を埋めるために父・盛長に頼み込みます。
盛長は自分が伊豆に頼朝が来てから仕えていることを淡々と語り、鎌倉殿に異を唱えることはないと言います。
「しかしながらこればかりは、承服するわけには参りません!」
「わしに背くは父に背くことぞ!」
そう脅す頼家に、力づくで人妻を奪うことの不利を諭す盛長。
(後略)
「外堀を埋める」とありますが、これは目標達成のために周辺の問題から片付けるという意味で、この場合ちょっと意味が違うように思えます。父頼朝の腹心であった盛長に、弁護を願い出たというところでしょう。しかし盛長は、これだけは承服しなかったわけですね。
14.ちなみに『御成敗式目』では不倫が禁止されます。まだそのあたりは明文化されていないのがそれ以前の坂東なのでしょう。
この後でも
「坂東武者にルールを教えた『御成敗式目』の制定って、実に偉大なことだとわかります」
とあります。武者さんの「御成敗式目」好きはわかりますが、このドラマに出て来る時代は生憎それ以前の時代です。それが冒頭の13人の合議の紛糾にもつながっているとも言えますし、御成敗式目について書くなら、まず冒頭の部分で出してもいいかと思うのですが。
15.頼朝の女遊びは確かにひどい。
けれども夫が生きている人妻は選んでいなかった。しかも忠臣親子の妻と知った上で奪い取るような真似などしていない。
たしかに亀は夫が生きておりましたが、関係を持った当初は頼朝本人も知りませんでした。亀は漁民の娘ですので、身辺事情など知らなくて当然ですし。
さらに、思いを遂げられなかった比奈については、比企側が選んで差し出そうとしていたほどで、鎌倉殿の相手としては安全です。
逆に言えば、頼朝はまだ将軍になる以前、どころか挙兵の初期の段階で亀の前と関係を持ったわけです。身分も低いし、そこまで騒がれることもありませんでした。また挙兵がこの先どうなるかもわからず、自分の子を残したいという思いもあったかも知れません。それぞれの立場の違いが、女性に対して同じように接する(これは頼朝が言っていましたね)父子でありながら、咎められるかそうでないかが、かなりはっきりと分かれてしまいます。
そして
「これは来年の大河でも覚えておきたいところでしょう。
秀吉と家康を比較すると、どちらも女性関係は派手に見えます」
とあり、
「しかし家康は、手をつけても問題ない安全な相手を選んでいる。
秀吉は伝説化している部分もあるとはいえ、大名の夫人や姫に手出ししようとした話がいくつもあります」
とも書かれていますが、家康は未亡人で経産婦を主に選んでいます。これは子供を残すことと大きな関連があります。逆に秀吉は、自分に箔をつけるため、高位の女性に接したという見方がされていますね。
あと「夫が生きている人妻」とはちょっと妙です。夫と死別した場合は寧ろ、後家とか未亡人という呼び方になるのではないでしょうか。
16.英雄色を好むだの、女遊びは本能だの、とは言われますが、理性でコントロールできる部分もあるわけです。
そういうことを踏まえてか、景時は「困ったお人よ」とこぼすのでした。
景時が「困ったお人よ」と言ったのは、頼家が景盛の妻を奪い取ろうとした件ばかりではなく、自分が「覚えておきまする」と言って去ろうとした際、近習たちに当たり散らした(部下を大事にしない)ことで、上に立つ者の器でないと考えたせいもあるかと思われます。
続きは次の投稿にて。
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