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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『鎌倉殿の13人』第28回「名刀の主」あらすじと感想-2

第28回後半部分です。


頼家は近習たちをうるさいと怒鳴りつけ、景時は困ったお人よと口にしつつ廊下を去って行く。そして景時は義時に、謀反は思い描いただけで既に謀反と、朝光を死罪にする考えを明らかにする。その旨を訴状にして鎌倉殿に見せると言うが、広元がそれに待ったをかける。

安達殿の一件が尾を引いているのかと尋ねる義時。景時はあれ以来頼家が御家人の信用を損ね、厳しく当たらなければ鎌倉は割れると言い、義時は、その見せしめのために朝光が利用されると悟る。さらに景時は、御家人への見せしめは頼朝様の頃からのならいであると言い、不満を持つ者を一掃するにはよい機会であるとも言う。

実衣は、朝光を助けるよう三浦義村に懇願するが、これは朝光一人の問題ではなかった。実際景時の手の者が鎌倉のあちこちに潜んでおり、義盛も、朝光以外に取り締まりを受けた者を何人も知っていると口を挟む。そして義時は13人衆でない義村に、景時のところへ行って、御家人たちの気持ちを伝えるように頼む。しかしそれでは弱いと見た義村は、人数を集めて訴状に名を連ね、鎌倉殿に処分を訴えることを勧める。

これで署名が集まるかと実衣は心配するが、義村は裏に回ると言う。重忠もその役を買って出るが、お前は裏に回るには見栄えがよすぎると言われて引っ込まざるを得なかった。義時は4~5人程度の署名で十分だと考えていた。義村は時政にまず署名を依頼する。りくの、これを機会に梶原を引きずり降ろしましょうとの言葉に、時政は自分も、御家人で一番のような顔をする梶原には頭に来ていたと乗り気だった。

さらにりくは、時政が署名することで他の御家人たちの重しになると言い、一番最後の部分に署名するように勧める。比企能員も梶原をよく思っていなかったが、時政が最後に書いたのを訝る。義村は、最初を比企殿にお譲りしたのだと言い、能員は最初の部分に署名をする。そして当の景時には、広家が、侍所で大変な騒ぎになっていると知らせを持ち込んできた。義村は、どうだ集まっただろうと得意げだった。

大ごとにするなと言ったではないかと義時は言うが、義村は思ったよりも、梶原のおっさん嫌われていたようだと勝ち誇ったように言い、さらに千葉常胤は、梶原と一戦交えることまで考えていた。戦はないと義時は言うが、義村は如才なく、加わってくれたことへの礼を述べる。常胤は、危うくお迎えの支度を始めるところであった、またもや誉ある戦をせぬかと声がかかれば、乗らない手はないと自信ありげに話す。

そこへ義盛が皆書き終わった、八幡宮へ誓いを立てに行こうと言う。集まった数は67にも上り、義時が多すぎると不満を洩らしたところ、そこへ土肥実平が現れて、泰平の世になったのになぜまたいがみ合う、頼朝様がお喜びになるとお思いかと憤る。すると義盛が、いいんだぜ、一緒に土肥実平殿への訴状をこしらえてもと凄んだため、実平はこの先鎌倉はどうなると言いつつ、引き下がるしかなかった。その時一同は、庭を隔てた廊下に景時がいるのを見つける。

義村は署名を時政に見せ、明日広元に預け、鎌倉殿に披露して貰うことを伝える。するとその時りくが小刀で、最後の時政の署名を切り取ってしまう。義盛が大声を上げるが、りくは夫は関わらなかったこにさせて貰うと紙片を破り、火鉢にくべてしまう。もし鎌倉殿と景時が結託したら、名を連ねた御家人たちは根こそぎやっつけられると言い、時政は、なぜ最後に署名させたのかの意味を理解する。義村は小柄で訴状を割こうとするが、りくがすばやく訴状を引っ込める。義村は言う。
「あんた、やるな」

比奈は食事中の義時に、なぜ景時がそこまで嫌われているのか尋ねる。あまり心を開く人物ではないので、誤解もされやすいと答える義時。比奈は夫の身を案じる。肝に銘じておくと義時。比奈は頼時にも、鎌倉殿の側を離れないように、父に不都合なことがあったら知らせるようにと言い聞かせる。坂東武者は内輪の争いが好きだと言う比奈。義時はこれで終わりにしたいと言うものの、比奈は新たな始まりでなければいいがと心配げだった。

しかし頼家はまだ訴状を見ていなかった。これはあくまでも最終手段であり、事を穏便に済ませる方法がないか考えておると広元は答える。梶原がそんなに怖いかと義盛は尋ねるが、恐れているのではなく、不憫に思っていると広元は答える。しかし義盛は、これだけの御家人の声を封じ込めるつもりか、渡すか渡さないかここで返答せいと襟をつかむ義盛の手を、広元はつかみ返す。

政子の部屋にいる景時に、鎌倉殿のご沙汰があると義時が呼びに行く。しかし政子はその必要はない、自分が頼家と話すと言う。それには及ばないと景時は言うが、政子は、貴方は欲得で動く人物ではないと頼朝から聞いており、おかしなことになると取り返しがつかないと注意する。景時は、鎌倉殿は賢いお方、某を手放すようなことは決してございませぬと答える。

頼家は2通の訴状を文官と御家人たちに見せる。1つは景時の結城朝光に関する訴状、もう1つはその景時自身への書状だった。康信は朝光の謀反の疑いはないと見ていいようだと述べ、景時も疑いが晴れれば、これに越したことはないと言う。頼家はそれを引き裂き、今度は景時への訴状を手に取る。まず能員が景時のやり方は目に余ると言い、時政も確固たる処分を要請する。

義時は、景時は鎌倉を守りたい一心であったと言うが、義盛が異論を唱える。そして景時は、恥じ入るところはただの一転もないと言い、それを聞いた頼家はしばしの沈黙の後、父は御家人たちをまとめるために上総の介広常を斬った、お前を許せばこの66人の御家人が黙ってはいるまいと述べる。そして頼家は景時にこう告げる。
「役目を解き、謹慎を申しつける」

このことは京にも知らされた。頼朝が死んで、早速仲たがいが始まったかと後鳥羽上皇は言い、それほど有能かと土御門通に尋ねる。通親はかねてより誼があり、頼朝に気に入られ、鎌倉では最も力のある御家人であると答える。上皇は、それほどの男なら手中に置きとうなったと言い、探りを入れさせる。その後景時の館には義時が趣き、残念であると言うと、景時は盆栽に手を入れながら、自分の間違いは己の過信にある、鎌倉殿と御家人、どちらも意のままに操れると思い込んだがどちらからも疎まれたと話す。

義時は復帰できるよう動いていると言うが、景時は、捨てる神あれば拾う神ありと、義時に上皇からの文を見せる。京へ来るように、通親が伝えたのだった。鎌倉にいても先は見えたと言う景時に、義時はいてもらわねば困ると言い、何かを諦めたかのようなそぶりを見せる景時に、行ってはなりませぬと再度念を押す。景時は涙を流す。

実衣は琵琶を傍らにおき、憂鬱そうな表情を浮かべていた。そして矢場では義村が朝光に、しばらく姿を隠せ、全てはこちらの思い通りに運んだと言い、さらに例のことは他言無用で、実衣殿に相談を持ちかけたのは、あくまでもおぬしの一存とも言って報酬を渡す。朝光はそんなに梶原殿が難いかと尋ねるが、義村は別にと答え、ただ、景時にいられると何かと話が進まないと答えてそこを去る。

そして頼家は、わが手の者から聞いたと言って、京から誘いがあったそうだなと景時に尋ねる。わしに伝えなかったということは、その気があると考えて間違いないなと言い、結構でございますと言う景時に、「忠臣は二君に仕えず」を頼家は引用する。お前は自分が忠臣でないことを認めた、そして忠義を誓わぬ者はこの鎌倉に入らぬと言い、奥州外ヶ浜への流罪を申し渡す。

正治2年正月。景時は太刀を抜き、邸内の竹を伐る。その頃義時は、あることを聞きつけて比企館に出向いた。せつが一幡を助けてくれと言い、能員は穏便に、鎌倉殿の耳には入れるなと念を押す。奥には武装した景時とその家人がいて、一幡を連れ出そうとしていたのである。景時は、我らはこれより京へ向かい、向こうに着いたら一幡様は送り返すと言うが、京へ無事にたどり着けるように自分が手配すると義時は言う。

しかし景時は、そなたを信じるわけには行かぬと言う、上皇からの誘いの件、鎌倉殿に流したのはそなたであろうと言い、義時はうなずいて、京に行けば鎌倉殿は決して貴方を許さない、討ち取ろうとして朝廷との争いの火種となると言い、鎌倉を守るのが自分の役目であると答える。ひけらかすものではないなと景時、破り捨てるべきだったと義時。景時は、刀は斬りようによって名刀にもなまくらにもなり、なまくらで終わりとうはなかったと囁くように言う。

一幡はせつの手に戻り、頼家の近習たちが景時に刀を向けるが、景時はこれより外ヶ浜へ参ると言い、義時は景時を通すように家人たちに命じる。景時は義時に、そなたは広常の前でこう申した、我らは坂東武者のために立ち上がったのだ、源氏は飾りに過ぎぬと。その言葉に義時はうなずく。景時は己の道を突き進めと言い、置き土産として善児を義時に譲った。

景時が出て行った後で、義時は頼時に兵を調えるように言う。必ず西へ向かうであろう景時を、東海道で討ち取るつもりだった。義時は、景時が武士らしく華々しく戦死しようとしていることを見抜いていたのである。外は雪が舞っていた。


景時の厳しいとも取れるやり方(源平合戦の頃からそうですが)に、御家人が反発します。そこで、13人に加わっていない義村が動くことになります。重忠は自分もと言いますが、お前は見栄えがするからと外されます。しかし義村は、こういう仕事は単独でやるべきであり、しかも自分でなければできないということを熟知しているようです-重忠はその点愚直なところもありますし。そして景時に対する市場に、多くの御家人の署名を集めさせます。

しかし義村よりもうわての人物がいました。それは他ならぬりくでした。りくはまず、夫時政に訴状の最後の部分に署名させます。それをきっかけに多くの御家人が署名をし、その数67人にもなります。いくら何でもやり過ぎだと義時は思うものの、義村は得意げです。そしてこれには、千葉義胤も名を連ねます。この人は昔ながらの坂東武者で、無論合議などには向かない、義村の言う「じいさん」でしたが、その「じいさん」も大いに役に立てたわけです。

しかも一応署名が集まったところで、りくは最後の部分を切り取り、燃やしてしまいます。頼家と景時が同盟でもすれば、署名した御家人が危うくなると思った彼女は、敢えて夫に最後に署名させ、最終的にその部分を切り取るという手段に出たのです。これには義村も一本取られた格好になります。しかし義村とりく、『きのう何食べた?』SPの小日向さんとまみちゃんを思い出します。

政子は景時は人格者と信じており、景時も頼家は、自分に何もすまいと踏んでいたわけですが、ことは思いがけない方向に向かいます。頼家は景時の役目を解き、謹慎を申し付けたのです。景時は己の考えの甘さを思い知らされますが、ことはそれだけでは終わりませんでした。後鳥羽上皇が景時に声をかけており、しかも屋敷に来ていた義時にそのことを喋ってしまいます。これはちょっと脇が甘かったと言わざるを得ません。義時は頼家に近い人物であり、このことを伝えたとしても無理からぬ話です。

そして最後のシーン、比企館に景時が乗り込み、一幡を人質にしようとします。しかしこれも、景時が流罪になるのであればと一芝居打ったように思われます。義時が、景時は武士らしく華々しく戦死したがっていると見たのはこのためでしょう。

飲み物-ビールと夕日2
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[ 2022/07/26 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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