まず先日の投稿で、「戦国時代」としたつもりが「戦後時代」になっていました。失礼いたしました。朝ドラとごっちゃになっていたのかもしれません。当該部分は直しています。
ところでその朝ドラ『ちむどんどん』は、かの『若草物語』を参考にしているようで、脚本家の羽原大介氏が、この記事でそのように語っています。
「若草物語を参考に、長男と三姉妹の構成は面白いと…」 朝ドラ作者「ちむどんどん」に込めたテーマ
(沖縄タイムスプラス)
しかしこの記事で見る限り、『若草物語』で参考にしたのは、長男と三姉妹の4人の兄妹という設定だけのように思われます。その時代をたくましく生きた人という点にも、この小説のイメージが盛り込まれているのかも知れませんが、『若草物語』の四姉妹は皆十代ですし、しかもその年齢で父の不在、生活費を稼ぐ2人の姉、主婦を務めることの大変さ、社交でのつらい思い、父と妹の1人の重病などなど、かなりの試練を受けていることがわかります。
しかし『ちむどんどん』の場合は
兄
投資の話を皮切りに、詐欺師まがいのことをやり、借金で首が回らなくなってしまう。母親に金をねだり、妹の財布にも手を出すようなことを繰り返した挙句、養豚場に転がり込む
長姉
教師になるが、結婚一歩手前までいった男を振り、仲間の教師と結婚した後退職する。しかしその後復職を目指すも夫の家族に反対され、子供を連れて実家に戻り、子供は妹に預け、夫の実家には挨拶にも行かない
次姉(主人公)
高校卒業間際に料理人になると宣言し、当てもなく東京に出て、沖縄県人会会長から、以前友達と行ったレストランを紹介して貰う。しかし髪はまとめない、失敗する、果ては普通の女性より手際が悪いなど、どう見ても料理人とは思えない。沖縄出身の智のプロポーズを断る一方、婚約者がいる和彦に恋心を抱く
末妹
体が弱く、兄妹の中で一番地味なタイプ。歌が好きでアイドルを目指すが、オーディションで倒れてしまい、運送会社に勤める。しかし欠勤が多く、退職することになり、その後姉の子供の面倒を見ながら、仕事で留守の母の代わりに家事を行うかたわら、民謡歌手を目指すようになる
『若草物語』とは、やはりかなり違うなと思います。もちろん舞台も時代も違うのだから、違っていて当然なのですが、『若草物語』にあるような家族の太い絆もあまり感じられないし、何よりも、自分の生き方を貫こうとする(それはそれでいいのですが)一方で、他者を傷つけたり、あるいは迷惑をかけたりしている点が大きく異なります。また兄、賢秀に該当する人物は、『若草物語』にはもちろんいませんね。
それとやはり『若草物語』の場合、宗教の影響もかなり見られます。姉妹がクリスマスの朝に聖書を贈られたり、父が病気で母が看病に発つ朝、その聖書を読んでいたり、あるいは巡礼ごっこをやっていて、自分の夢を語ったりするところは、プロテスタント諸派、特にピューリタニズムの影響が強いと思われます。
あるいはウークイの夜に兄妹が集まって諦めないなどと言うのは、あの巡礼ごっこをモデルにしているのでしょうか。しかしやはりどこか違うなと思います。
あと土曜日に放送される1週間分のまとめですが、優子が捕虜収容所と言ったのが、ただの「収容所」に直されていたようです。なぜ事前に調べないのでしょう。プロの仕事とは思えません。
それから小檜山青氏の朝ドラ関連記事で、こういうのがありました。
そして暢子は、房子から結婚も仕事も両方頑張れときっぱり命令されるのでした。
これは朝ドラが明確に新たな流れに舵を切ったと私は大歓迎したい。そういう流れはありました。先人の戦争経験を踏まえてこうなるといえば、『なつぞら』や『スカーレット』。『スカーレット』は才能で夫を圧倒した末の離婚でしたが。
その前の朝ドラって、高度経済成長期にあったモデルを継承するせいか。外で働く母に罪悪感を植え付けかねない小細工があって不愉快でした。『カーネーション』は違う。問題は『あさが来た』と『わろてんか』。どちらもヒロインモデルが働こうと、それに子供が不満を漏らしたわけではない。そもそも『あさが来た』ほどの大金持ちは自分で家事育児をしなくてもどうにでもなります。それを「鍵っ子はかわいそう」みたいな理屈を無理矢理時代考証を無視してあてはめていて邪悪でしたね。だいたい、あの二作は高度経済成長期にヒロイン生きてないのに。
私は『あさが来た』と『わろてんか』の当該回は観ていませんが、この暢子に限って言えば、仕事は未だ中途半端な感があるし、しかも相手は婚約者と別れたばかりの人物なわけです。房子がそう言うのもどこかおかしいし、何よりも本人が相手とまだ付き合ってもいないのに、このような行動に走るのもちょっと考えられません。
それと小檜山氏は自分が批判したい作品には「邪悪」だ何だと書きたがりますね。このへんが極端だなと思います。
ちなみに以前、ファンのコミュニティでやたらロスだ何だと言われるのが、ご本人のお気に召さないような記述もありましたが、そういうのはスルーするなりミュートするなりすれば済む話です。
第一、他人の意見を自分の力で変えることなど、一部例外はあるにしてもかなり難しいでしょう。過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられるわけで、ご本人が自分の気持ちを切り替えた方がいいかと思います。
ところで小檜山氏と言えば、先日、『武将ジャパン』の武者さんの方の記事で、『鎌倉殿の13人』第27回の、義時と頼家の会話についての疑問点を取り上げています。
その会話関連で武者さんは
「頼家は、景時から聞いていた話と違うと察知。
つまりは、どちらかが嘘をついている。
もう誰も信じられなくなりそうで、実際、情で丸め込んだつもりでもほだされぬと突っぱねる頼家です」
と書いていますが、「景時から聞いていた話と違う」は、13人の発表が行われた後の頼家のセリフ「平三、聞いていた話とは違うな」ではないかと思われます。
実際この時は景時も、「当初の予定よりいささか増えてしまい申した」と頼家に答えています。もちろんその後の「情で丸め込んだ」云々も、このお披露目の時のセリフであることは、私もこの時の投稿で書いています。
しかしこのコラムでは、上記のやり取りが行われた後に
「そしていよいよ13人お披露目の場となりました」
とあるのですから、どう見てもやはり時系列的におかしいと言わざるを得ません。
スポンサーサイト