『武将ジャパン』大河コラム続きです。まず先日の投稿のこの部分を、再度挙げておきます。
11.尼御台(政子)の考えだと言っても、聞く耳を持ちそうにない。
義時が粘り強く新しい鎌倉を築いていこうと語りかけ、13人まで増えたけど、少数に力が集中するよりはよいかもしれないとフォローします。頼朝もそこを心配していたと。
頼家は、景時から聞いていた話と違うと察知。
つまりは、どちらかが嘘をついている。
もう誰も信じられなくなりそうで、実際、情で丸め込んだつもりでもほだされぬと突っぱねる頼家です。
11、ここのところですが、順番がおかしいです。
まず頼家が、景時から5人と聞いていたが何人になったかと尋ねる
↓
13人になりましたと義時が答える
↓
不満そうな頼家に、鎌倉殿がやりやすい形を探っていると説明する義時
↓
お前はその中には入っていないのだなと頼家は訊くが、義時の態度ですべてを察する。義時は尼御台の考えであることを話す
↓
頼家は怒りをぶちまけるが、お父上もそうやって支えて来た、我ら御家人をお信じくださいと義時は言い、さらにその後、少ない者に力が集まればよからぬことが起きるとも言う
録画を観る限り、この順番です。従って「どちらかが嘘をついている」のではないし、また「情で丸め込んだつもりでもほだされぬ」は、13人のお披露目の時に口にしています。この、義時と2人きりでの会話の時ではありません。
(引用終わり)
セリフの聞き間違いはまだしも(それでもプロのライターとしては如何なものかと思いますが)、どのように観たら武者さんが書くような流れになるのか、それがよくわかりません。
それから先日分の投稿で、例によって『麒麟がくる』を引き合いに出して光秀はビジョンがあると書いたその後で
頼家にはない。
彼はただただピュアなだけ。
そのピュアなところは、母親譲りにも思えてきます。
政子は正面切ってぶつかっていくところもありすごくピュア。
(中略)
ずーっと政子みたいなピュアなだけだと、自分も周囲も疲れてしまう。
そんなときに、頼朝のずっこけた軽快さがあればな……と思ったり、いやいや、政子の謙虚さや柔軟性もあればよかったのか、などと考えてしまいます。
(中略)
いつ見てもギリギリで、張り詰めている感じがある。
オンとオフが切り替えられていない痛々しさが、演じる段階であるんだと思えてしまって、そういう挑戦の場を提供する大河ドラマって、やはり貴重なコンテンツですよね。
私にしてみれば、若い頼家が父親とその家人に圧倒されそうになり、悩んだ挙句、自分と同年代の若者を引き連れて来て、この者たちと共に政治を行うという結論に達したとしか見えないのですが…。武者さん、好きな大河(あるいは好きであると公言している大河)だと、随分慮った書き方ですね、昨年であればどのように書いたのかなと思います。しかし政子の謙虚さや柔軟さて、あまり見た覚えがないのですが(八重にはあったかと思いますが)。
ところで亡き父とその家臣に押しつぶされそうになる辺り、ちょっとこの頼家には武田勝頼がだぶります。勝頼も甲斐源氏の末裔ではありました。
あとオンとオフの切り替えがどうこうとありますが、鎌倉殿は24時間鎌倉殿であるはずです。要は頼朝のように女性あしらいがうまいわけでもなく、逆に生まれながらの鎌倉殿だから制約も多く、比企一族が乳母夫ということもあり、こういった様々な要因が、彼を追い込んでいると言えるでしょう。
それと頼家は、頼朝が30代の時の子供で、この時代としては遅く生まれた子でもあり、その頼朝が征夷大将軍の何たるかを教える前に急逝したのも、マイナスに働いたと言えそうです。
それから後鳥羽上皇に関して
彼は圧倒的に賢い。
しかも、誰も彼を縛らない。
解き放たれた帝王の中の帝王が、これから立ち塞がってくる――そう示した秀逸な伏線です。
人間の才知、器量、教養、そして持つ権威。
それを見れば後鳥羽院が負けるわけがない。
どう倒すのか?
とありますが、この書き方もどうかなとは思いますね。
まず、この回の後鳥羽上皇の描写だけでは、ここまで描き切れているようには見えません。只者ではなさそうだなということはわかりますが。そしてかなりやり手の人物であるからこそ、敵も多かったのも事実でしょう。しかし「解き放たれた帝王の中の帝王」なども、ちょっとファンタジーぽい表現ですね。
それと
「後鳥羽院が負けるわけがない」
早すぎでしょう。この頃はまだ、朝廷と鎌倉の関係は良好なのですから。
その後の総評も、綺麗な若者と汚い大人なる書かれ方で、要は頼家と御家人、文官たちの在り方を描いているわけですが、頼家の未熟さと、御家人あるいは文官たちが処世のためにやらざるを得なかったことではあります。ただ頼家が近習たちを呼んで、彼らと政をやると公言するところ、如何にも失敗フラグだなとは思いますね。
あと
この十三人の合議制は、もっとソフトに綺麗にまとめられたのでは?と思うのに、敢えて汚い打算全開にしてきました。
などとありますが、ではその
「ソフトに綺麗にまとめられた」
のはどういうまとめ方であったのか、武者さんなりに考察していたのでしょうから、そういうのを書いてほしいですね。
そして後の方になって
「ここから先は昨年の大河を厳しく指摘させていただきます。
ファンの方は飛ばしてください」
とありますが、「厳しい指摘」と言うよりは、単なる悪口のようにしか見えないのですが。なんでも
あの2021年大河の最終回は「青春はつづく」というタイトルで、呆れました。
青春は終わります。
本人が終わってないと言い張ったところで、苦い処世術と若い頃にはない叡智や分別を身に付けたならば、終わっているのです。
青春時代の渋沢栄一なんて、幕末によくいた攘夷思想を掲げるテロリストに過ぎません。
なんとか生き延びてお縄にもならず、西洋の知識を身につけて立ち直ったわけです。
なのだそうですが、あの最終回は栄一の孫の敬三が血洗島を訪れ、若い頃の栄一をそこに見るという設定になっていますから、別に「青春はつづく」でもそう無理はありません。また敬三は祖父の追悼会に於いて、子供のような一面をのぞかせていたことも語っています。
恐らくはここで『鎌倉殿』に絡めて、『青天を衝け』を悪く言いたいのだろうなとしか思えないのですが、鎌倉時代と戦国時代を同等に語るのと同じか、それ以上に無理があると思われます。それと栄一が若い頃はテロリストなどとありますが、寧ろ栄一は無謀な行為に走ろうとする天狗党を諫めてもいます。それは無視なのでしょうか。
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