『鎌倉殿の13人』以外にも、大姫が登場する大河はあります。1つは『草燃える』、もう1つは『義経』で、いずれも大姫は義高を殺されたショックで、体や精神を病むような設定になっています。しかし今回の大姫は、気がふさいでしまうことはあったものの、義高のことが原因で体を悪くしたわけではありません。
こういう設定がどこか中途半端に感じられるし、彼女が頼朝や北条家のシーンの中で、「点」としてのみ存在しているような存在感の薄さを感じさせもします。だからと言って、彼女が全く存在感を見せていないかと言うとそうでもありません。りくが出産し、子供のお披露目に北条家の関係者が集まるシーン、あの時の彼女のちょっと場違いとも思える振舞いは、いわば存在感を示しているとも取れるでしょう。
ただしこれは、りくと時政を中心としたその場の雰囲気をどこか破壊しているようにも取れます。本人に悪気はなくても、何とも違和感を感じさせますし、だからと言って彼女がなぜそういう行動を取るのか、明確な理由があるようにも見えないのです。たとえばりくと時政の間に子が生まれた、そのことに対する反発でもなさそうですし、スピリチュアルなものが好きという設定にしても、この時代は全般にそういう雰囲気があったわけだし、それならそれで、彼女のエキセントリックな部分をもっと掘り下げてほしかったですね。
しかしこのエキセントリックさはその後鳴りを潜め、大姫は自分には婚約者がいるからと、一条高能との縁談を断ったり、全成のコント的な義高の芝居に嫌気がさし、果ては巴に話を聞いて貰い、入内の決心を固めるという展開になっています。見方によっては過去の縛りをほどき、新しい人生を歩もうとする女性への変貌ですが、あの不思議キャラは結局何だったのだろうと思ってしまいます。最初からこちらの方の設定で行くことはできなかったのでしょうか。
しかし京で丹後局に圧倒され、結局このことに嫌悪感を抱いた大姫は京の屋敷から抜け出し、廃屋で雨宿りをしていて三浦義村に出会い、無理しない方がいいと諭されるに至ります。そして病を得て鎌倉に戻った後、再び義高のことを口にするようになります。その後呆気ない速さで2年間が流れ、大姫死去となるのですが、どうも彼女のキャラの一貫性のなさが気になります。
同じテーマで1週間前に、三谷さんはこの大姫を当初入れるつもりだったのか、あるいは脚本に変更があったのかといったことを書いていますが、あるいは先に大姫抜きの脚本があって、後で彼女の出番を任意で入れたのではとも思えてしまいます。
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