『武将ジャパン』大河コラムに関する疑問点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第21回「仏の眼差し」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
1.奥州で取れる砂金はいつの時代も貴重でしたが、特にこの時代には価値がありました。 というのも、お隣の中国で宋が滅ぶと、国土の北半分は金王朝(王朝としての金)に支配され、南半分となった南宋王朝は日宋貿易で砂金を調達するようになったのです。 それゆえ奥州平泉がなくては貿易が成立しませんでした。
2.「これから大事になるのは忠義の心だ。あのような男を二度と出してはならん。ついに日本全てを平らげた」
この場面、この台詞は大事ですよね。 【石橋山の戦い】で、北条時政と大庭景親が言い争う場面があり(中略)許してくれてよくしてくれた平家が大事だ。そんな風に時政は言いくるめられていたものです。
要は、忠義よりも欲得が重視されました。
しかし、それではいかんと頼朝は考えている。
3.「御恩と奉公」と言われるように、鎌倉幕府は御家人を恩賞で繋ぎ止めていた。そこへ「忠義」という道徳概念を提示したんですね。
おおよその出どころは推察はできます。大江広元あたりでしょう。
彼は大学寮でも専門は明経道。要するに中国思想専攻でした。
4.先ほど指摘したように、大庭景親は損得で道を選ぶことを当然だと思っていました。
山内首藤経俊も露骨に命乞いをしていた。
それがだんだんと、武士は名誉を重んじるようになります。
5.もちろん良い話ばかりでもなく、哀しい一例を挙げると、徳川慶喜でしょうか。 家臣たちには戦争をけしかけておいて、自分だけは大坂から愛妾同伴で江戸へ逃げるなど、不誠実なことを平気でしてしまう慶喜。それでも幕臣は、主君を討たれたら恥だから慶喜のことを守りました。
あるいは西郷隆盛も島津久光とは犬猿の仲でしたが、それでも山岡鉄舟に「主君の首を取られたらどうするのか?」と問われ、慶喜の助命を認めています。
1.武者さん、過去に2回ほどこのコラムで同じようなことをに書いていますが、砂金が絡むのは南宋との日宋貿易ではなく、奥州藤原氏が行っていた北方貿易の方ですね。 これだと奥州と南宋の貿易のように見えてしまいます。
2.そもそも鎌倉幕府が本格始動しようというわけですから、御家人たちに造反されては困ると言いたいわけでしょう。平家も滅んだし、主を選ぶなら源氏一択なのですから。
3.大江広元は明法博士、つまり明法道(律令学)の人物なのですが。
4.武士の時代が安定するにつれ、忠義が求められてくるのは当然のことでしょう。これが再び混乱するのが戦国時代になるわけですが。それと山内首藤経俊は、父と兄が平治の乱で義朝に従い、戦死したこともあるのではないでしょうか。
5.ここに来てまた『青天を衝け』(あるいは『西郷どん』も)批判ですか。武者さんのよくないところと言うべきでしょうか、『鎌倉殿』ならそのレビューに徹すればいいのに、何かにかこつけて嫌いな大河を持ち出し、叩いていますね。レビューを書きたいのか、嫌いな大河批判をしたいのかわからなくなります。
6.そう褒める法皇と丹後局。褒めているのか、馬鹿にしているのかわからないのですが、時政には嫌味が通じません。
ぶぶ漬けを薦められて(京都人の「帰れ」と言う意味)、笑顔で食べてきてしまうタイプだ。
7.「みんな院が望んだこと……」
そう“飼い犬”である平知康から事実を陳列され、法皇はキレだしました。
8.こうしてわけのわからん八つ当たりをされ、平知康が追い出されますが、この場にいないあの人ならば、解説できるかもしれません。九条兼実です。彼は摂関家のエリートであり、とても理想が高く、教養も溢れていました。あるいは大江広元もそうでしょう。
(中略)
院が選んだ結果でしょうよ!
九条兼実なら、強烈にそう毒づくことでしょう。
9.気を利かせた政子が話を逸らし、預かっている孤児の数を訪ねます。
11人からまた増え、徳のある行いだと政子が感心する。
これも意識の変革ですね。
鎌倉時代には「三つ子が生まれた!」という記録が出てきます。不吉とも思わず、むしろ珍しく、慈しむものとして書かれました。人に対して情けをかけることは、素晴らしいことである。そういう温かい慈悲深さを評価するようになっていったのです。政子は、八重がそんな時代を先取りしていると感心しているように思えます。
10.頼朝よ……おまえは本当にどうしようもない男だな!
八重が幸せそうなことに気づき、えっ、それって小四郎とラブラブってこと? ワシよりええのか? というマウント心理でも働かせたのでしょう。
(中略)
血液型照合もDNA鑑定もできない時代ですから、「父親が俺かもしれない」と匂わせること自体が極悪非道です。なまじ八重のように、頼朝と子がいたとなれば余計に生々しい。
6.時政は大番役で京にいたこともありますし、壇ノ浦後の何年かは京都守護として京に赴いており、朝廷のこともある程度把握していて、そのせいか、態度も落ち着いていますね。奥さんのりくも京は熟知していますし。それとここで「ぶぶ漬け」をまた持ち出してくるのも、ワンパターンだなと思います。
7.これは知康ではなく、丹後局が言ったのではないでしょうか。 知康は頼朝の文を読んだ後、頼朝追討の宣旨を出したことを怒っているのではと言っただけです。それと「事実を陳列」て何でしょうね。「開陳」の間違いでしょうか。
8.実際兼実と折り合いが悪かった後白河法皇ですが、法皇のみが悪であると書きたがるのもどうかと思います。尤もこの九条兼実は、法皇の後継者である後鳥羽天皇とも不仲だったと言われていますし、丹後局から失脚させられています。
あと
「院が選んだ結果でしょうよ!」
繰り返すようですが、院が望まれたことと丹後局が言っていますね。
9.その鎌倉時代の慈悲深さ云々ですが、例を挙げて説明して貰えないでしょうか、このコラムでは、この時代はああだったこうだったと書かれてはいるものの、それを裏付ける事実があまりにも乏しく、信憑性を欠いているように見えます。 しかし時代の先取りだ何だより、こういう手のかかることをして、金剛も育てて感心ですねと、政子は同じ母親として言いたかったのではないでしょうか。
あと三つ子の話、残念ながら翌日三人とも亡くなったとされています。
10.そしてここで頼朝批判。思うのですが、武者さんは褒めているより批判している、叩いている方が生き生きしてみえます(それがいいことであるとは思いませんが)。 しかしこれも、頼朝を最初から批判する方向ですね。無論どうかとは思いますが、そういう人物なのだから仕方ありません。極悪非道は言いすぎでしょう。ただ頼朝の言動自体、ちょっと企み臭いとは思いますが。
11.(注・頼朝が金剛は自分の子だと言いたげなシーン)単に劇中のヤリトリだけでなく、もしかしたら大河ドラマ『草燃える』を意識しているかもしれません。あのドラマでは、金剛こと北条泰時が、義時か、頼朝か、どちらの子か確定できないという設定だったのです。昔から大河は自由な枠でしたが、現在であれば、あの設定は通らないでしょう。
頼朝のしょうもなさは、女の幸せは男由来だと決めてかかっているところですね。八重が千鶴丸と鶴丸を重ねて幸せなのだと知ったら、どんな気持ちになることやら。
11.10年ルールと言いながら、43年前の『草燃える』をなぜ出してくるのでしょうか。過去の大河作品でこれしか『鎌倉殿』と同時代を描いていないのなら、いつかも書きましたが、源平大河の10年ルールは外してはどうでしょう。
それと
「頼朝のしょうもなさは、女の幸せは男由来だと決めてかかっているところですね」
ですが、あのやり取りだけでそこまで思いませんでしたね。
あと八重が鶴丸に千鶴丸をダブらせるシーンは、この後で出て来るのではないでしょうか。
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