まずあらすじと感想その2で、入力ミスがいくつかありました。失礼いたしました。
では『武将ジャパン』大河コラム、前半(静の舞)に該当する部分への疑問点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第20回「帰ってきた義経」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
1.褒め称える秀衡を見て、義経は感極まった顔をしています。
彼は褒められたかったのです。
『麒麟がくる』の織田信長と似ています。信長も賞賛が欲しかった。自分を褒める妻の帰蝶を「あれは母親じゃ」と語っていた。
褒められることに飢えている者にとって、自分を褒めてくれる相手は、父であり、母になる。
2.源平のみならず、奥州も含めた三国志状態。源平は長い争いで消耗していますが、平泉は無傷です。そんな油の中に義経という火種が入ることで、討伐対象となってしまう。
3.この場面は重要です。
大姫の心を踏みつけにしてでも入内させたい頼朝。それに不安がある政子。受け入れそうもない大姫。
後白河法皇に煮え湯を飲まされたようで、頼朝は接近を図っていたのです。
4.とくは国衡の実母ではなく、かつ身分が高い。年齢順でいえば国衡が泰衡より上なのですが、母の身分によって泰衡が上に来ています。
そういうバランスを取るために、国衡に身分の高い、しかも泰衡の母を妻とすることで、敬意を持たせようとしたんですね。
(中略)
当時の奥州には、儒教規範がないとわかります。
儒教規範は近親婚を嫌います。義母だろうが子と結婚するなんて、おぞましいこと。ゆえに理解されにくいでしょうし、後世の人も目を逸らしたくなるような話です。
5.それにしても、また酷い遺言を残したものです。
平清盛も、息子たちを破滅に導く「源氏を倒せ」という遺言を残しました。
秀衡もそうなりそうです。
1、ここでまたも『麒麟がくる』。しかも信長と義経とではそれぞれの環境も条件も異なりますし、義経はやっと「保護者」たる秀衡のもとに駆け込んだ、その安堵感もあるのではないでしょうか。
2、平泉は無傷とありますが、この後で出て来るように、家督相続という点ではきわめて不安定なものがあります。義経自身は、その藤原氏と鎌倉とを対立させる、触媒的な意味合いもあったかと思われます。それと「そんな油」とは平泉のことでしょうか、せめて「その平泉という油の中に義経という火種が入ることで」くらい書いてほしいです。
3、この前のコラムで、頼朝は政治の天才と書いていたわけですから、こういう形で接近を図っていてもおかしくないでしょう。それと「大姫の心を踏みつけにしてでも」のところ、政子に不安があるのは事実としても、現時点で大姫が「受け入れそうもない」かどうかは何とも言えません。
4、この場合、未亡人の立場はかなり強かったというのもあるでしょうね。それにしてもまた「儒教規範がない」、日本に儒教規範が根付くのは江戸時代で、『青天を衝け』などは正にその時代の真っただ中でもあるのですが。 それにこれは嫂婚(レビラト婚)制と言って、遊牧集団である騎馬民族の間でも行われていました。
5、もう少し自分に時があれば、鎌倉に攻め込んでと秀衡は言ったのみで、息子たちに鎌倉を倒せと直接言ってはいません。それと「秀衡もそうなりそうです」と言うより、秀衡の子供たちも、清盛の息子たちと同じ運命をたどると言った方がこの場合ふさわしいかと。
6.日本が伝統的にしてきた、唐の国(中国)を参照するわけでもない。武家政権の始め方は、頼朝から学ぶしかないのです。頼朝はよい師匠であり、義時は優秀な弟子です。
7.悪どい策を聞いた後で、このほのぼのとした場面。これは「トロッコ問題」かもしれません。
トロッコ問題とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という問いかけです。物事を単純化し過ぎた考え方だという批判はありますが、現実問題、義時はそれを突きつけられ、解決しました。
8.もう、上総広常や源義高の頃のように迷う期間は終わりました。
任務をいかにしてこなすか?
9.義時の耳には、畠山重忠が告げたことが入っています。
善児は兄・宗時の遺品を持っていた。彼が殺したことは断定できないけれど、兄の死に関与したことはわかる。
義時が仇討ちをしたいのであれば、善児を簀巻きにして川にでも放り込めばいい。
しかし、そうはならない。
10.「やっちまいましょうか。寝首をかくのは造作もないことだ」
「余計なことはするな!」
とっさに声を荒げる義時。下手に暗殺なんてしたら、かえってうまく動かなくなる。
6、律令制から武家社会に移行するわけですから、勢いそうなるでしょう。ただ、義時はこの後源氏を絶やしてしまっていますし、その意味では「優秀な弟子」と言えるかどうかは疑問です。
7、トロッコ問題(トロリー・プロブレム)というのは、暴走するトロッコ(この場合は電車)の軌道を切り替えることで、1人の犠牲者を出すか、あるいは5人の犠牲者を出すかという一種の思考実験で、第3者が軌道を切り替えるか否かの判断にゆだねられているというものです。この場合第3者が頼朝で、1人を犠牲にする=義経を殺すか、あるいは5人(以上)を犠牲にする=鎌倉の人々を犠牲にするかということになるのでしょう、ただこの時点で、奥州藤原氏が暴走するトロッコなのであるかどうかは微妙です。鎌倉方がわざと暴走させようとしているとは思いますが。
8、これは前回の『武将ジャパン』関連投稿で書いていますが、広常や義高の場合は平家をまだ倒しておらず、今回は平家を倒し、倒すべき相手がいよいよ絞られて来ています。だからこそこの大河では、覚悟を決めた義時がこのような任務を背負ったと言えるでしょう。無論鎌倉で生きて行く以上、頼朝には逆らえませんし。
9、なぜここで「仇討ち」なのでしょうか。義時もそのような言葉は発しておらず、既に景時の家人となっているこの人物を、むざむざと殺すわけにも行かないのではないでしょうか。
10、善児は殺し屋ですから、義時の命令さえあればその通りに動きます。なのに自分からこう言うのが興味深くはありますし、逆に景時からこう言い含められているとも取れそうです。
11.三谷さんは脚本の仕上がりが遅れるとご自身も認めておりますが、こういう細かいところまでピースをはめようとして、試行錯誤をギリギリまで繰り返し、完璧に完璧を重ねたいから、遅れるのではないでしょうか。
実際、今週もよい仕上がりですよね。
12.里は正確には河越重頼が父という出自ですが、ドラマでは比企尼の外孫であることが強調されています。
13.私は静です! お腹にいるのは間違いない、九郎義経の子!
14.「嵆康(けいこう)の『広陵散』のお話なんてご存じですか? ああいうね、琴を弾くのがうちらのやり方で」(中略)鎌倉の文化文明はこれからですね。がんばろう。
11、三谷さんがなぜ遅れるのかは私にもわかりませんし、恐らく武者さんの考えも多分に推測のうえでのことでしょう。ただ「今週もよい仕上がり」というよりは、今週も三谷さんらしい舞台的要素が入っており、それがドラマとして今一つこなれていない印象を受けます。
12、この間「里は比企の娘」と書いたことへのフォローでしょうか。繰り返しますが里は、比企尼の娘と、重頼の間に生まれた子供ですね。で、能員も言っていましたが、彼自身には姪に当たるということでしょう。
13、静のセリフですが、いくら何でもあの場で「九郎義経」などと呼び捨てにはしないでしょう。「おなかにいるのは間違いなく源九郎義経殿のお子」と言っています。
14、これは白拍子の舞であり、舞楽の一種ですから、鼓や釣太鼓が中心になっていてもおかしくないはずです。 舞楽で弦楽器が用いられることはまずなく、管楽器そして打楽器がメインですね。 ちなみに『広陵散』は琴の局として有名です。
それから静に絡む部分で
「静の宿にドヤドヤ押しかけた坂東武者たちはいて、中には口説き始めた不届者も。まったくろくでもない」
などとありますが、ドラマ本編にこういうシーンはありません。何を出典にしているのか明記してほしいです。
スポンサーサイト