第20回「帰ってきた義経」後半部分です。尚ひとつ前の投稿で、「帰って来た」としていましたので、本文中の意味が通りにくい部分共々、直しています。
静を見た政子は頼朝に言う。女子(おなご)の覚悟です、私もあなたが挙兵された時覚悟を決めましたと。義時のこの話を聞いていた義経は、静の大胆な振る舞いをあいつらしいと言う。その後静は鎌倉に留め置かれ、4か月後に出産する。生まれた子は男児で、静のもとから連れ去られた。
その後彼女も鎌倉を去って行方知れずとなり、美濃青墓宿で、静に似た遊女がいたらしいと話したところで、これが伝えるべきだったかと義時は戸惑うような口ぶりになる。義経はうわべは平静を装っていたが、その後畑に立てた藁の人形を、鎌倉への憎しみを込めて太刀で切り刻む。
義経は国衡と謀って挙兵するようだと、義時は泰衡に伝える。泰衡は兄が義経と謀ることに憤り、自分は鎌倉に盾突くつもりはないと言う。そんな泰衡に義時は手は一つと言い、義経の首を取って送り櫓どけるように促す。でなければ平泉は火の海と化し、義経とて止めきれず、藤原氏も途絶えてしまうと迫る義時に、だからあいつを入れたくなかったと泰衡は答える。
向こうが戦の支度に取りかかる前に、不意打ちしかないと諭す義時だが、泰衡の弟の頼衡がこれに反対し、父秀衡の、義経を総大将として奥州を守れとの遺言を持ち出す。しかし泰衡は、奥州の行く末は自分が決めると言う。頼衡は、お前の魂胆は何だと義時に斬りかかろうとするが、その時善児が現れて頼衡を倒してしまう。最早後へ引けなくなった泰衡は、国衡から義経が戦を決意したことを聞く。
準備が整ったと確信した義時は、善児を先に帰す。義経は幻を見ていた。それは、秀衡が畑の土を救い上げている幻だった。しかし実際にはそこには誰もおらず、自分で作った人形が立っているだけだった。その間に泰衡の軍勢は、義経の館の方へと向かっていた。
ここらが潮時であると義経は言う。しかし里は、このような場所で終焉を迎えるのは気が進まなかった。宿命(さだめ)だ、諦めろと義経は言うが、里は夫について来たことを後悔していた。但し里は義時との会話を盗み聞きしており、静が落ちぶれたと聞いた時には溜飲が下がったようだった。そして里は、京で刺客を呼び込んだのは自分であることを打ち明ける。お前が呼んだのかと義経は怒り、里を刺し殺してしまう。
義時は鎌倉へと馬を走らせていたが、弁慶が通せんぼをする。御曹司がお呼びだと言う。そして泰衡も軍勢を引き連れて義経のもとへ到着した。弁慶の手引きで館に入った義時は、布をかぶせられた里と娘の死体が、むしろの上にあるのを見る。義経は泰衡の手勢が来ていることを伝え、人を信じすぎると言われた自分も賢くなったと言う。そして義時が静の話をしたことについても、自分に鎌倉への憎しみを募らせるようにし、泰衡に挙兵させる策だったことを見抜いていた。
弁慶は板切れを甲冑代わりにし、さらに衣をまとって外へ出て行った。館の外には落とし穴が彫られており、兵たちはそれに足を取られていた。義経は、時間稼ぎに外に出て、しかももう二度と会わないであろう弁慶に礼を言い、さらに自分では手を下さず、泰衡に討たせると頼朝が企んだことをも見抜いていた。
義経は、そこまで兄に取って自分は邪魔なのか、そうなると最早どうでもよくなった、この首で平泉が守れるなら本望だとさばさばした口調だった。さらに見せたいものがあると義経は言い、平泉に来てからどうやって鎌倉を攻めるか考えたと絵地図を広げる。鎌倉としては定石通り北に兵を出すが、その隙を突いて北上川から船を出し、海から攻め込み、北から慌てて戻る兵を追って包囲し、火を放つという作戦だった。
海路を行くと三浦の岬から丸見えになると義時は言うが、その時は、損得のわかる三浦の息子を味方につけると、義経はぬかりなかった。さらに義経は、鎌倉戻ったら梶原景時に渡してほしいと、攻めの子細を記した書状を差し出す。景時ならこの策をわかってくれるだろうと言うのである。
やがて外で弁慶が兵を相手にする声が響き渡る。義経はその様子を楽しみつつ、義時に来た道を通れと言い、義時を送り出す。鎌倉に戻った義時はこのことを報告し、景時もその策を見て、この通りになっていたら鎌倉は滅びていたと言う。そして義時は館に戻り、久々に金剛を抱き上げる。
文治5(1189)年6月13日、頼朝は、届けられた義経の首桶に向かって、戦の話をしてくれ、お前の口から聞きたいと言い、首桶を抱きしめながら泣き崩れる。
まず「おなごの自覚」、その割に義経と静のシーンがあまりなかったのがちょっと残念です。これは平家のシーン、大姫と義高のシーンにも言えるかと思います。それと『吾妻鏡』では、この3年前に舞の奉納が行われていますが、ドラマ中の舞も文治2(1186)年設定なのでしょうか。その割には大姫がかなり大人なのですが。
それから頼朝と実衣の服装ですが、実衣のは少し色が変わったでしょうか。しかし頼朝の直垂が、ここ何話か全く変わっていないようでちょっと気になります。
義経関連です。やはりこの人のシーンがどこか舞台的で、義時との会話にしても、セリフでことの次第を説明しているように見えます。義経と義時、そして弁慶を交えての会話に、頼朝の策略を織り込むことはできなかったのでしょうか。それにしても義経、自分の首で平泉が守れるならと言っていますが、結局これが鎌倉方に口実を与えてしまうのですけどね。
いずれにしても存在そのものが紛争の火種となりかねない人物ではあり、形の上だけでも出家するという選択肢もあったかも知れません。無論その場合も頼朝の監視下で余生を過ごし、場合によっては頼朝、あるいは義時から暗殺された可能性もあるでしょう。ちょっと『太平記』の護良親王を連想します。
その義経の書状の字がうますぎるように思えます。腰越状は宗盛の代筆だから納得できますが、義経の直筆ならもう少しぐしゃぐしゃとした書き方でもよかったのでは。
それから弁慶が、何やら西郷隆盛に見えてしまいます。佳久創さん、流石に元ラガーマンだけにガタイはいいのですが、少し体重を増やしたでしょうか。『ノーサイド・ゲーム』の時はもう少し筋肉質だったかと思います。そして里、本来の良妻のイメージとはかなり異なっていました。しかし立ち聞きですか、大河朝ドラにはありがちなことではありますが。
朝ドラといえば、『あまちゃん』で、アキが鈴鹿ひろ美の付人をしていた時、『静御前』なるドラマの撮影現場が登場していましたね。あと余談ながら23日の『ちむどんどん』で、ペットボトル入りの醤油が登場していましたが、実際にペットボトル入りが出るのは、舞台となっている1972年から5年後のことですね。
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