『武将ジャパン』大河コラム続きです。
武者さんは義経に関してこう書いています。
義経は人を信じすぎる。まっすぐ過ぎた。
こう作中でまとめられたことが実によかったと思います。
まっすぐ過ぎたと義時は言ってくれていますが、どうもこの義経は暴走しがちで、しかもテンションの高いキャラだなと私は思いました。別に菅田さんのアンチではないのですが、少々うるさい印象もありました。
三谷さん、もう少しひねったキャラにしてもよかったかもしれません。尤も義経の退場回は次なので、この回で何か別の面を見せる可能性もなきにしもあらずです。
そしてこのようにも書いています。
ネット発の「バーサーカー」はまだしも、「サイコパス」は一歩間違ったら危ういと私は心配でした。
サイコパスは精神病質者という意味で、定義が難しいうえに、素人判断による判定は差別につながりかねないわけです。
数年後には禁止用語認定されていても不思議はない、そういう危険な定義だと思います。
この義経はサイコパスかどうか。私では判断ができませんし、するつもりも全くありません。周りにいたら困るかもしれないけれど、だからといって異常者扱いしようとも思えない。
ただ極端に触れてしまう――そんな義経の個性を強烈に描きながら、同情もできる造形に落とし込んだこと。これが素晴らしいと思った。
私も特定キャラもしくは人物に、精神疾患をやたらにかぶせるのはどうかと思います。「アスペ」などもそうでしょう-ただ義経の言動を見る限りでは、一種のパーソナリティ障害ではないかと思われるところはあります。
しかし武者さんは小檜山青氏名義で、『カムカムエブリバディ』のレビューを書いていた時、何と表現していたでしょうか。回転焼きのあんこのために小豆を煮る時、「おいしゅうなあれ」と言っているのをオカルト呼ばわりしていなかったでしょうか。また『まんぷく』で、立花萬平のインスタントラーメン作りを、萬平ラーメン教呼ばわりしていなかったでしょうか。
そして
「義経の個性を強烈に描きながら、同情もできる造形に落とし込んだ」
と、彼の人間性をも認めるのであれば、『カムカム』のるいにしても、『まんぷく』の萬平にしても、何かを一生懸命作りたいという部分は肯定されてしかるべきだったのに、そういった部分をも否定していなかったでしょうか。
そういう人が「サイコパス」がどうこうと言っても、今一つ説得力を欠くのではないかと思います。 結局自分の推しだから庇っている、そう見られても仕方ないでしょう。
その次にまとめとして、
もう少し何かがズレていたら、彼はこうならなくて済んだかもしれない。
もちろん因果応報で、悪いこともたくさんしたけれど、こんな破滅的な最期でよいものなのかどうか。
元々義経の最期は、作品によって描かれ方が違うものの、どこか破滅的です。これには秀衡の死も関係しているでしょう。
そして「もう少し何かがズレていたら」とありますが、それが具体的に何であるのか、それを明確にするのもライターの役目ではないのでしょうか。
あとこの部分ですが、
同時に考えたいのが頼朝の天才性です。
彼はこの弟の破滅劇を、自分にとって最もうまく使える形で実現することでしょう。
天才という猛獣同士が組み合って、酷い有様にならないはずもない。
ここから先は、頼朝がその天才的な政治家ぶりを見せつけます。
そもそも
「ここから先は、頼朝がその天才的な政治家ぶりを見せつけます」
とあるわけで、「義経がいなくなってから」頼朝がその才能を発揮し始めるのであれば、天才という猛獣同士が組み合うことにはならないとは思います。 何よりもこの「天才」という表記にやや引っ掛かります。
これに関しては、第18回で梶原景時が
「お二人とも己の信じた道を行くには手を選ばぬ」
と言っており、私としては、寧ろその表現の方が納得できます。
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