どうもこのところ大河と朝ドラ、ラグビー関連しか書いていないようです。そのうち他のもまた書く予定ですが、ともかく今回は大河です。義経も自分に任された役目が終わり、しかも鎌倉に入れなかったことから、京で後白河法皇に仕えると決心するのですが、あの法皇様は一筋縄では行かないでしょうね。どころか、義経自身が振り回されることになりそうです。
ところで先日の投稿の義時のセリフ
「兄は、平家に苦しめられる民のことを思っていた」
ですが、寧ろ宗時の本心は、「兄との約束」に登場するこれではないかと思います。
「源氏とか平家はどうでもよく、この坂東を自分達だけのものにしたい、北条がその頂上に立ちたい、そのためには頼朝の力がいる」
そして「平家に苦しめられる民」よりは、「平家が任じた国司や目代に不満を持つ坂東武者」こそが、この大河で一番描かれていると言えるでしょう。
それにしても、重盛が亡くなる前頃から平家が描かれ、鹿ケ谷の陰謀があり、石橋山の戦い後の平家の内部事情がもう少し描かれていたら、源氏の旗揚げももっと意味を持ったはずなのですが。平家が描かれないせいか、朝廷の描写もあまり突っ込まれていないように見えます。宗盛にわざわざ重盛のことを言わせているのは、平家があまりにも描かれなかったせいもあると思われます。
それと大姫と義高についても、この2名が一緒にいるシーンをもっと出して、それが大姫の鬱屈した気分を裏付けるものであるべきだったと思いますが、なぜか女性達の会話シーン、八重の登場シーンに割かれてしまっています。女性たちのシーンも無論大事ですが、毎回毎回、時には無理をして出しているようにも見えます。また第18回の政子や実衣の会話は、なぜ大姫が寂しそうにしているのかを、セリフで説明させている印象がありました。こういうのは大姫の行動で表せないでしょうか。一応それができる子役を選んでいるでしょうし。
たとえば『真田丸』の場合もきりの登場シーンが多く、それが「うざい」と言われていたこともありました。ただきりと政子や八重とはキャラ設定も違うし、彼女のはっちゃけた部分が、場合によっては雰囲気作りに役立ったとも考えられますが、政子の立場はもっと重いし、また八重はきりのような明るさはあまり感じられません(無論きりにないものもありますが)。時代も馴染み深い戦国に比べると、平安~鎌倉はやはりよく知らないということもあるでしょう。
そのため『真田丸』は好きだったけど、この大河にはちょっと馴染めないという人もやはりいるのではないでしょうか。無論こちらには、昌幸(時政はいるがキャラが違う)や、家康に該当するキャラが不在というのもあるかも知れません。
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