今回は小檜山青氏=武者震之助さんのツイートに関してです。
最近は特に『ゴールデンカムイ』関連のが多いのですが、やはり朝ドラや大河関連のツイも時折目にします。
一例として
「好きな作品を貶されて叩かれるならまだしも、
『私の大嫌いなあの朝ドラを評価する貴様は許さんぞおおおおおおお!』
みたいな難癖をつけられたことがあるから、まあ、今更動じない動じない、はっはっは!」
などとあります。
しかしこれ、武者さんも日常的にやっていることではないでしょうか。
武者さんが嫌いで叩きまくっている作品(たとえば『青天を衝け』)を評価している記事を、こたつ記事だ提灯記事だと言っていましたが、これは「私の嫌いなドラマを評価する奴は許さん」と言っているに等しいのでは。
さらに
「むしろ日本って時代物の本数が減りすぎて、歴史フィクションへのリテラシーが低い部類に入ると思う。確信したのは『麒麟がくる』の駒叩き。なんでああいう人物が出る=ファンタジー!歴史通なら叩くしかない!…みたいに自信満々に叩きますかね。ああいう人物を出すのは定番の手法ですよ」
というのもあります。
作品が史実をそう意識しない、最初からフィクション要素が多いものであれば、別にああいう人物がいても気になりません。しかし大河の場合、ある程度史実をも踏まえた設定にしているため、オリキャラが、しかもこれは越権行為ではないかといった描かれ方をすると、疑問に思う人も当然出て来るでしょう。
「ああいう人物を出すのは定番の手法ですよ」とありますが、ならばどのような作品だと定番なのか、それをはっきりさせてほしいですね。他にもそれと関係があるのか。『江』絡みの(批判的な)ツイを見たことがあります。『江』の場合は私も設定に疑問がありますが、それでもまだこちらは実在の人物なのです。
しかし一連のツイを見てみると、よほど毒づかなければならない理由があるのか、既に放送が終わっているにもかかわらず、嫌いな作品の叩き方がすさまじいです。
先日「自己愛性パーソナリティ障害」について書きましたが、そしてこう言うのは何ですが、武者さんの文章にも時々その特徴の一つとも言える、共感性のなさを窺わせる部分が垣間見られます。別に武者さんがそうだと決めつけるつもりはありませんが、こと嫌いな作品はみじんも評価しない、部分的であれいいところを褒めるなどというわけでもなく、最初から否定しまくりというのは如何にも極端です。そういうところが大河レビューやツイートに疑問を持つ一因となっています。
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