『どうする家康』の新しいキャストが発表されていますが、それはまた次回に書く予定です。
今年の大河も1クールが終わり、『武将ジャパン』の大河コラムも1回を除き毎回見て来ましたが、やはり
漢籍マウント
嫌いな大河(特に『青天を衝け』)との比較
大河本編にさほど関係のない話(含中国史関連)が延々と続く
このパターンは変わらないようです。
また小檜山氏のツイートを見ていても、『カムカムエヴリバディ』のような嫌いな朝ドラはオカルト呼ばわり、嫌いな大河には厳しい意見が多いと言う割に、『麒麟がくる』のような、好きな大河への厳しい意見はスルーしています。好き嫌いだけで物事を決めると、白黒つけたがるため論調が極端になりかねません。というか好き嫌いは表裏一体でもあり、どのような形であれ、常に意識しているという点では同じなのですが。
ところで大河以外の直近のコラムで、直江状のものと、弓矢についてのものを見たのでざっと書いておきます。リンクは張りませんが、URLは置いておきます。
家康激怒!『直江状』には何が書かれてた?関ヶ原を引き起こした手紙 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/bushoo/takeda/2022/04/14/47411
まず直江状、何でも慶長5(1600)年の4月14日に送付されたからとのことで、堀秀治と伊達政宗を出して来たのはわかるとしても、西笑承兌についても書いているわけですから、この人のことをもうちょっと紹介してほしかったですね。興味がある方は、『鹿苑日録』がネットで読めるのでお勧めです。
後半部分は直江兼続と政宗関連のエピソード中心で、顔文字(絵文字ではありません)などを使っているせいもあり、歴史コラムというより柔らかめのブログ記事といった感じです。あと伊達が上杉を脅かしているとあるのに、最上義光のことが書かれていませんね。
それと弓矢に関して。
なぜ鎌倉武士は弓矢をそこまで重視したか?鎌倉殿の13人ギモン解決 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/jphistory/middle/2022/04/14/167678
最初の方は弓そして矢の紹介ですが、2ページ目にこのようにあります。
源平合戦の時代が終わり、世の中が平和になると、文化、芸術、娯楽が発達します。
和歌を詠み、蹴鞠を楽しみ、読経に勤しむ。
かつて軟弱とされていた技能が重視され、武士たちの憧れる技能も変化していきました。
結果、鍛錬に時間のかかる弓術はどうしても疎遠になる。
太平の世が終わり、再び乱世が訪れた南北朝時代では、弓術の技術が低下していました。
代わりに長柄武器、槍、長巻、打物(打撃武器)で敵を倒すことが発達します。
これ、ちょっとおかしいですね。
鎌倉時代には、騎射三物と呼ばれる犬追物、笠懸、そして流鏑馬が盛んに行われています。 騎射、つまり馬上から矢を射る技を磨くためのもので、「鍛錬に時間のかかる弓術」が「疎遠に」なったりはしていません。源平合戦が終わって太平の世とありますが、その後承久の乱も起きていますし、さらに三浦一族を滅ぼした宝治合戦や元寇もありました。江戸時代と勘違いしていないでしょうか。無論南北朝時代を舞台とした『太平記』でも、弓矢が使われています。
そしてその後の部分。
時代が降った戦闘技術を、大河ドラマで振り返ってみましょう。
『麒麟がくる』の序盤、明智光秀と細川藤孝が剣術で対峙する場面がありました。
一方、松永久秀や斎藤道三、織田信長たちは鉄砲に興味を抱くことで、それが物語の鍵ともなります。
技能は剣術。
合戦での遠距離武器は鉄砲。
弓術の重要性が低くなっているのが一目瞭然です。
「大河ドラマで振り返ってみましょう」とありながら、『麒麟がくる』しか引き合いに出されていませんが、これで鉄砲が出て来るのは当然としても、それより前の戦国時代を描いた『風林火山』には弓矢での戦闘も登場し、甘利虎泰が敵の矢を受けて戦死するシーンもあります。 しかもこのコラムの1ページ目に、戦国時代に作られた弓が紹介されているのですが。
また弓術の小笠原流は、鎌倉時代以降に成立しています。鉄砲が登場した後一時衰退するも、武芸として江戸時代にも行われていました。そういう点も書いてほしいものです。
たしかに今川義元と徳川家康の異名「海道一の弓取り」という言葉には、その名残もありますが、実際に彼らが弓の使い手であったかどうかは別の話。
この弓取りというのは武士をほめていう言葉であり、戦国時代には領国を持つ大名のこともこう言いましたから そちらの意味に取るべきでしょう。こういうコラムを読んでみると、やはりどこかもの足りなく思う部分はあり、それが大河のコラムにも共通すると言えるのかも知れません。
それから大河関連のコラムの方で、『義経』の六韜三略について触れられており、『鎌倉殿の13人』では、こういう伝統的な義経のイメージを覆したといったことも書かれていました。しかしそもそも『義経』の場合は主人公であり、それにふさわしい設定になっていたからではないかと思います-いくら何でも、主人公で今回のような設定の義経はちょっと考えられないでしょう。 ところでこちらは17年前の大河なのですが、10年ルールは結局どうなったのでしょうね。
それと北条家は宗時、政子、義時、実衣の下にまだ妹や弟がいたはずですが、彼らのその後が描かれていません。
あと個人的に、八重が「駒」化しているように見えてしまいます。八重はオリキャラではないからまだわかるにせよ、あまりにも出番が多くないかと思いますが、武者さんが八重を好きなのもそれが理由の一つなのでしょうか。そういえば、義仲の幼名は「駒王丸」なのですが、武者さんが大河コラムでひどく義仲に肩入れしているように見える(確かにいい奴ではあるかも知れません)のは、この名もやはり関係しているのでしょうか。
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