慶長5(1600)年10月、助左衛門はリュートを奏でていた。その2日前に処刑された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊への供養のつもりだった。処刑の前に現れた僧に、三成はこの世に未練はないと言い、行長はキリシタンであることを理由に拒否し、恵瓊は自分は坊主であるから己の経文で成仏してみせるわいと哄笑し、それぞれ打ち首となった。
堺に取って大事な人物が次々といなくなり、徳川に従わない限り戦は避けられなかった。その代わり堺の自治は取り上げられてしまうことになる、しかも信長包囲の時はまだ味方はいたが、今はそれも望めそうもなく美緒は悩む。その時小太郎が、東の口の大橋に高山右近が来ていることを知らせる。
右近は騎馬姿で、引き合わせたい人物がいるから大坂城へ同行するように言う。その人物は徳川家康だった。家康は助左衛門にリーフデ号のこと、そしてオランダ人の船長とエゲレス人の航海長について話し、南蛮ではイスパニアの無敵艦隊がエゲレスによって撃滅されたことを話す。助左衛門に取っては初耳だった。
家康は交易先をオランダ、エゲレスにすることを考えており、そのための条件として堺の港の閉鎖、納屋衆と会合衆の江戸への移転を持ち出す。堺にはイスパニアとポルトガルの垢が染みつき過ぎていると言う家康。さらに家康はこれに従わなければ、公命で堺は焼き払うとまで言う。助左衛門は堺では談合で決めるため、この件を持ち帰りたいと思うが、家康は助左衛門の影響力が大きいのではないかと疑っていた。
果たして堺では、交易相手を乗り換えることへの反対が相次ぐが、小太郎は、家康は本気で火をかけるかも知れないと恐れる。助左衛門は、堺をまるごと呂宋へ移す決断をくだす。堺とは堺衆、どこへでも行ける船、自由な商いができればそこが堺なのであるとするものの、無論他の選択肢もあるわけで、大阪や江戸へ行きたい者はそうすればいいと言う、これには賛成する者が多かった。そして堺の3万人の人々の運命は、行く先によって二分された。
小太郎は父宗薫と共に江戸へ行くことを決めた。代わりに美緒に呂宋行きをと考えていた。美緒は積み荷の様子を宗薫、小太郎と共に見ながら、小太郎に呂宋行きを勧める。互いに呂宋行きを譲り合う2人だが、美緒はその後助左衛門の家へ行き、別れを告げる。
さらに美緒は、生涯慕い続けることのできる人と出会えたのは幸せであったこと、そして、30年館この言葉を封印して来たことを明かす。そして助左衛門は、今度生まれ変わったら自分の女房になってほしいと言い、美緒もそれを受け入れる。やがて今井の荷駄隊は、江戸へ向けて旅立った。
助左衛門に高山右近が、これは堺の者でなければ乗れぬかと尋ねる。右近は呂宋での町作りを手伝いたいと思っており、船に同乗することを考え、助左衛門もそれに異議はなかった。助左衛門に取っても、右近が来てくれることは心強かった。
徳川が攻めてくる前に、無人となった堺に火をつけるつもりでいた助左衛門だが、子供が泣いているのを見つけて船に乗せる。驚いたことに船は子供たちでいっぱいで、わざと捨てられた子も中にはいた。このため堺を離れる前に、町中を一回りした助左衛門は、あちこちで昔のことを思い出す。
最後にお仙の船を覗きに行った助左衛門だが、お仙は遙名台に灯を入れた後その近くに倒れていた。船に乗ろうと助左衛門は言うが、とてもそれまで寿命は持たないと言う。お前の船が出て行くのを目に焼き付けてから死にたいと言うお仙だが、既にその目は見えていないようだった。そして見送らせてくれと言いつつお仙は息絶える。
助左衛門はその後、堺を捨てるのではなく持ち去るのだと言い、男たちが家々に火をつけて回る。これを見ていた淀殿は家康に、堺の町が自害をしたらしい、内府殿の脅かしも通じなかったと見えると言い、また何と気高い、誇りに満ちた炎よ、果てる時はかくありたいと口にする。その15年後、彼女は正にそのやり方で生涯を閉じる。
1600年秋、納屋助左衛門は日本を去り、そして黄金の華を咲かせた幻の都堺も姿を消した。そして船上では、ひとりの少年が舵取りをしたいとせがんでいた、その子の名は助左といった。船長にあやかったのでしょうと水夫たちが言う中、助左衛門は助左に舵を取らせる。
第51回そして最終回「堺炎上」、これを以て『黄金の日日』終了です。最初はあらすじ感想を書く予定はなかったのですが、そもそもは明智光秀関連で書いたのがきっかけでした。
結局最後は万事うまく終わった感もあります。元々は、史実を基にしたフィクション的なところもあるだけに、こういう終わり方になったともいえるでしょう。尚実際は、大坂夏の陣で大野道犬(治長の弟)に火をつけられています。
『青天を衝け』放送年にアンコール放送が始まり、同じ「商人」同士かと思っていましたが、やはり戦国期の商人と、近代の資本主義のもとでの実業家とはかなり異なっていました。無論渋沢栄一が元は農民であり、また一時士分として取り立てられたことも関係していますが。
家康の交易先変更は、オランダとエゲレスが新教国であることも関係しているでしょう。結局最後に残ったのはオランダでしたが。
あと第1回に出て来た「助左」、ここで再登場です。
そして4月からの『おんな太閤記』ですが、今のところあらすじ感想を書くかどうかは未定です。
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