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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『青天を衝け』徒然その18

第37回。政府は三菱に対抗すべく共同運輸会社を発足させた。岩崎弥太郎と大隈重信には非難が渦巻くが、岩崎は動じなかった。2つの会社は、互いに客を増やすべく激しく競り合う。共同運輸と三菱の競争は熾烈をきわめ、五代友厚は、ここで協定を結ぶべきと栄一に忠告する。実は岩崎弥太郎は、合本の仕組みを逆手に取り、共同運輸の株を買い集めていたのである。五代によれば、三菱の大規模化は政府の思惑もあってのことであり、今度は共同運輸が第二の三菱になるとまで言う。それでもなお三菱を敵視する栄一に、伊藤博文も少し慎めと忠告する。伊藤は憲法制定の準備段階に入っていた。

一方でお千代を失った栄一は元気がなく、周囲は再婚を画策し、芸者見習いの伊藤兼子が後妻と決まる。この兼子は、没落した豪商伊勢八の娘だった。しかし長男篤二は、この継母に馴染もうとしなかった。その後歌子は男児を産む。そしてこの頃、貧民救済のため、お千代が大事にして来た東京養育院の廃止が決まった。しかしここは栄一が経営することになり、資金は慈善市(バザー)で賄うことになった。同じ頃岩倉具視は、お上である天皇を中心とした国作りをすべきで、民が口を挟んではいかんと思いつつ世を去る。

ほどなくして岩崎も亡くなり、五代も体がいうことをきかなくなっていた。五代はこのまま競争を続けても、三菱、共同とも先行きは心細く、しばらくは三菱が天下を取るが、いずれ外国資本に乗っ取られることになると、三菱との協定を勧める。そして商いで日本がどう変わるかを見たかったと言い残し、五代はその年の秋に世を去る。私生活の方では、兼子が離縁を切り出していた。兼子は栄一の心が今なおお千代にあり、子供もできない、篤二もなついてくれないと言う。そんな兼子に栄一は逆に、もっと自分を叱ってくれと頼む。

第38回、徳川家康が登場し、江戸の世を再評価する動きが高まったと述べる。この明治22(1889)年、家康の江戸入城300年を祝う東京開市三百年祭りが上野で開かれた。かつての幕臣たちが企画したもので、昭武も姿を見せる。憲法発布による恩赦で、上野に西郷像ができるとの話もあった。その場には年老いた永井玄番頭尚志も現れ。永井の万歳を皮切りに、一同万歳をする。そして静岡の慶喜邸では、美賀子が高松凌雲の治療を受けていた。やすの話を聞いた美賀子は、東京の民は徳川を忘れていないと洩らす。

東京では栄一が、明治最初の10年は零細資本しかなかったが、今や様々な産業が興り、教育施設もできたと演説する。また養育院運営のための慈善会は兼子が仕切っていた。さらに次女琴子、くにの子文子も縁談がまとまり、くにも新たな人生のため渋沢家を出て行った。栄一はバザー会場の鹿鳴館で、川村恵十郎とやすに会い、川村は慶喜や平岡が未だ汚名を着せられているのを嘆いていた。また栄一は貴族院の議員に任命されるが、実はあまり政治に関わりたくなかった。そんな栄一に、娘婿の穂積が篤二の件を切り出す。遊び好きの癖が抜けない篤二に、熊本の学校に進むよう勧めたのである。

美賀子は乳がんに罹っており、手術のために東京へ向かうが、徳川家達邸滞在中に亡くなる。その頃慶喜は写真をするようになり、彼女の写真を現像していた。一方で篤二の遊び癖は一向に収まらず、栄一はこの息子を謹慎させ、血洗島に行かせる。叔母であるていに本心を打ち明ける篤二。ほどなく謹慎は解け、華族の娘敦子と結婚することになった。また栄一の馬車が襲われるが、幸い軽傷ですんだ。栄一が衛生のために、輸入水道管を広めようとしたことへの嫌がらせだった。

美賀子没後、慶喜の体調も優れなくなり、男爵となった息子厚がいる東京へ移ってはどうかという話が出る。しかし慶喜は、朝敵となったことを今なお忘れていなかった。栄一は、確かに風当たりはまだ厳しいが、自分に取って許せないのは、慶喜が幕末に手がけたことまで、自分たちの手柄にしたがっている連中がいることだと憤る。

ほどなくして日清戦争が起こり、広島の大本営に向かう途中で慶喜に会った栄一は、陛下のもと挙国一致している今こそ、藤田東湖が唱えた尊王思想であると言い、さらに慶喜の伝記を作りたいと提案するものの断られる。戦争は日本の勝利で終わり、伊藤は、これで日本もアジアの三等国ではなくなったと栄一に告げる。そして栄一が望んだとおり、およそ30年ぶりに慶喜は東京へ戻って来た。


目まぐるしく時代が変わって行きます。かつて明治維新を支えた人々がいなくなり、その次の世代へと受け継がれようとしていました。岩倉具視、岩崎弥太郎、そし五代友厚が世を去って行きます。そして慶喜の正室であった美賀子も亡くなります。栄一も慶喜も、本妻に先立たれていますね。一方で栄一は兼子と再婚し、2人の間には子供も生まれます。

そして共同運輸会社と三菱は、ライバル意識をむき出しにしていました。あっちが運賃を一割下げるなら、うちは二割下げるといった具合で、しかしこのような状態がいつまでも続くわけもなく、結局双方は協定を結びます。また栄一は、水道管の輸入を検討していて暴漢に襲われかけますが、栄一はお千代をコレラで亡くしたこともあり、水質には気を使っていて、そのため輸入を決めていたのです。

その栄一は、誕生したての帝国議会(国会)の貴族院議員に任命されます。尚この当時、衆議院は選挙で議員を決めていましたが、この当時まだ普通選挙法はなく、選挙権のある人は限られていました。また貴族院(今の参議院)は任命制でした。華族でなくても任命されるケースは多かったのですが、栄一はあまり政治に乗り気ではなかったようです。ちなみに今の国会で、玉座があるのは参議院のみですが、これは貴族院の名残りといわれています。

栄一は、慶喜の名誉回復にも躍起になっていました。本来慶喜が手がけた様々なことを、あたかも自分のものであるかのように振る舞う人々に憤りを感じてもいました。そのためか、西へ向かう時は何度か慶喜邸を訪ねていたようです。ところでこの大河には、栄一をはじめ、年齢の割にあまり老けた印象がない人もいますが、美賀子もあまり年齢相応な感じではありませんでした。喜作や慶喜は年齢相応に見えており、逆に慶喜は若い頃から、ちょっと老けた印象でしたね。

その栄一の私生活ですが、長男の篤二が遊び好きで困っていました。熊本の学校に入ったものの、女連れで大阪まで行ってしまってもいます。栄一は多忙を極めていたため、自分たちに責任があると、歌子と穂積陳重が非をわびますが、そこへ助け舟のように現れたのが栄一の妹ていでした。謹慎を言い渡された篤二を、ていは血洗島に連れて行き、農作業をさせます。そこで篤二は、母お千代が亡くなった時の心境を打ち明けるのですが、ていは、話のわかる叔母さんでもあったようです。

幸いなことにというか、養育院の資金源となる慈善市は、兼子が取り仕切ることになりました。ここで裁縫をする子供たちに「内止め」、つまり玉止めをきちんとするように教えるのですが、実はこのシーンを観ていて、『はたらく細胞フレンド』のある場面をちょっと連想しました。詳しくは『はたらく細胞』関連投稿で。

あと、上野の西郷隆盛像、これは『西郷どん』の第1回冒頭を思い出します。糸が、「うちの旦那さあはこげな人じゃなか」と言うあれです。

飲み物-注がれる紅茶


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[ 2022/01/11 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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