『ゲゲゲの鬼太郎』第6期の第52話「少女失踪!木の子の森」と、第66話「死神と境港の隠れ里」について。
まず「少女失踪!木の子の森」ですが、まなと買い物に行く約束をしていた桃山雅(みやび)が、コンビニのトイレを借りて出た途端、周囲の景色が違うことに気づきます。そこは木の子の森で、様々な色の花や木の葉が辺りを埋め尽くし、この世のものとも思えない美しい光景でした。そこで出会った木の子なる子供たち、実は精霊たちに勧められ、雅はこの地に留まることになります。
しかしこの森への入り口は500年に1度しか開かず、鬼太郎や猫娘が雅を連れ戻しに来ます。しかもこの森では、人間の世界に比べて時間の流れが速く、雅は瞬く間に大人になって行きます。そこに現れたのが山天狗です。雅を帰したくないという木の子たちの要望を受け入れ、ついには彼女を自分のものにしようとして、鬼太郎に成敗されます。雅も当初は馴染んでいた木の子たちの生活が段々受け入れられなくなり、結局は戻ることになります。
森での時間はかなり長く感じられましたが、彼女が人間の世界に戻ったのは、雅がまなと買い物をする約束をしていた日の夕方でした。つまり半日も経っていなかったのです。また森ではかなり大人になっていた彼女も、元の中学生に戻ります。そして雅は、木の子たちとの生活で感じたことが、彼女の母親が彼女に口やかましく言っていたのと同じであることがわかり、その後は母親の気持ちを受け入れるようになります。
それから「死神と境港の隠れ里」、こちらはまなが例によって伯父さん夫婦を鬼太郎、猫娘と訪ねたのですが、祭りの夜に不思議な声に導かれて不思議な橋を渡り、こちらも様々な花が咲き乱れる場所へたどり着きます。ここは弓ヶ浜の隠れ里で、200年に一度の割合で時の橋が掛かり、まなはそれを渡ってしまったのです。彼女を呼んだのは、この里に生えている人面樹のようでした。
そこには一之進という武家の少年と少女、そして町人と思われる2人の少年がいました。彼らはちょうど200年前の江戸時代後期、この地にやって来たのです。この地では子供たちは、永遠に歳を取らないことになっていました。一之進に身分違いだからと恋心を打ち明けられない少女を励ましたり、スマホの画像で今の時代(令和元年)を紹介したりするまなですが、そこに欲に目がくらんだねずみ男が、人間の魂を刈り取る死神と結託してやって来ます。
この死神は鬼太郎により退治されますが、一方で一之進たちはまなの話を聞いたことから、元の世界に戻ることを決めますーたとえそれが、自分たちの生命が終わることを意味していたとしても。そして令和元年の弓ヶ浜に降り立った彼等は、200年の歳月の重みに耐えきれず、肉体はあとかたもなく消え失せ、4人の魂が空へ向かって解き放たれ、それを見たまなは号泣します。
この2つの「人間世界から隔離された世界」ですが、木の子の森がややおとぎ話的で(木の子が7人というのは『白雪姫』を連想させます)あるのに比べると、隠れ里はユートピアでありながら、どこか恐ろしさ、宿命といったものを感じさせる設定になっています。木の子の森には時の流れが存在し、雅がそれに合わせて成長して行くわけですが、後者にはそれがなく、そのため外部から来た人間(この場合はまな)によって時間の経過が知らされ、しかもこの地を出た人物には、その時間的経過が容赦なくのしかかるためでしょう。
あと雅やまながスマホで写真を撮るのは、双方に共通しています。ところで木の子の森は500年に1度、時の橋は200年に1度となっていますが、この300年の違いは何なのでしょう。またこの時の橋については、古い文献に、200年前に神隠しがあったと記されていることを、鬼太郎と猫娘が調べています。一之進たちも、神隠しで行方不明になったとされて来たのでしょう。
それにしても隠れ里のねずみ男、死神からうまい話があるともちかけられるものの、結局はいいように使われて捨てられてしまいます。今までの自分から学習していませんね-それがねずみ男らしさといえばそうなのですが。
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