タイトルが「?」な方もいるかと思いますが、まずは『新九郎、奔る!』から。
今第7巻を読んでいますが、応仁の乱後の1471(文明3)年、父盛定の領地荏原郷へ行かされた新九郎に、ある知らせが届きます。この年の夏、京では疫病が流行っていました。疱瘡(天然痘)がその代表格で、大勢の死者が出ており、しかもその当時
「一度罹患した者は二度とこの病に罹らない」
ため、疱瘡に罹って治った者たちが侍所に出て、ことの始末に当たっていました。
無論これは抗体ができるからなのですが、ともかく将軍義政も寺社に祈祷を命じる他、なすすべはなく、後に夫婦げんかのもととなってしまいます。しかも時の帝、後土御門天皇も罹患してしまいます。妻・日野富子と口論となった義政は
「人の力でなんとかなると本気で考えておるのか」
と口にします。
人類が疱瘡に勝つ手段を手に入れたのは、これから約300年後のことでした。ジェンナーが天然痘ワクチンを作り出したのが1796年のことですが、実はその少し前に、日本でも人痘を元にしたワクチンが作られています。
ところで、新九郎の弟である弥次郎も高熱を出していました。しかしこちらは疱瘡とは違う症状であり、はしか(麻疹)であることがわかります。この疱瘡と麻疹のダブルパンチで、義政はどちらも罹患して治癒した「経験者」を現場に出すことにします。
実際それしか方法がないとも考えられるのですが、富子は夫の初動体制が甘いと反論します。というか、この連載時は既にコロナ禍だったと思われ、何やら現実とリンクしているような部分もあります。
悪いことに、母の須磨と女中のこうが麻疹をやっておらず、結局二人とも弥次郎の麻疹に感染して亡くなります。新九郎に来た知らせは、この須磨の死を知らせるものでした。
麻疹と言えば、『はたらく細胞フレンド』第4巻絡み、あるいは『青天を衝け』の、栄一の最初の子が麻疹で死亡する回でも触れていますが、このウイルスはリンパ組織で増殖し、免疫機能にダメージを与えるため、かなり厄介です。しかも咳や鼻水、目脂などの症状があり、この中でも弥次郎がひどく咳をすることから、周囲は疱瘡でないことに気づくわけです。
そして追い討ちをかけるように、今度は義政と富子の嫡子春王丸が倒れ、また義政と富子も相次いで発病します。この時は赤痢でした。幸いこの3人は快癒しますが、赤痢菌も前出の第4巻で、免疫細胞から逃れることができることが紹介されており、これまた厄介です。というかそういう病原体だからこそ、大勢の人々が罹患することになるとも言えるのですが。
ちなみに麻疹ワクチンは2006年から実施されており、人類はこの病気に対しても、やっと対抗すべき方法を見つけたと言えるでしょう。
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