先日の続きです。後半部分、メディアの質について書いていますが、実際エンタメ系メディアはワンパターンなところがありますし、如何に本人に対して好意的な表現であっても、度を過ぎると安っぽく感じられてしまうものです。これは男性も女性も同じです。またイケメンor美人です、あるいは頭がいいですと書かれていても、率直に言って、言われるほどのものではないなと思うこともよくあります。
あと整形についてもちょっと触れました。例えば子役出身とか、比較的若い頃から色々な番組に出演している人の場合、大人になるまでにある程度の変化はあるものです。ただもう大人の年齢になっていて、それも加齢に伴う顔の変化と言うのではなしに、デビュー当時の映像と比べてみると、数年ほどで顔が変わったなと思う人もいます。ひところ、韓国の芸能界は整形が多いと盛んに言われましたが、日本の場合はどうなのでしょう。
しかしこう書いて来て思うのですが、日本人はやはり芸能人が好きなのかなと度々思います。これは第二次大戦後のTVの普及も関係しているかと思います。しかしそれを言うのであれば、他の国も似たり寄ったりではあるでしょう。外国にも特定の俳優やタレント、あるいはスポーツ選手の熱烈なファンというのはいますが、彼らに対して批判するべき時は批判しているようにも見えます。
もちろん、好きな芸能人がいるというのは別に構わないのですが、何でもかんでも彼らの言うことを、額面通りに受け取る必要もないでしょう。しかもそういう人たちがMCなどでなく、TVのキャスターやコメンテーターのようなことをしているのは、ちょっとどうかなと思わざるを得ません。TVサイドとしても、そういう人たちを出演させることで、視聴者を取り込みたいと言うのはわかりますが、本来報道番組とはそういう性格のものなのでしょうか。
報道番組がショーのようになったのは、1980年代後半、昭和の終わりごろからのようです。それと同時に、出演者の顔ぶれを華やかにする傾向が出て来たとも取れますが、報道とは何があったのかを知らせるものであり、それがどのような形であれ、その道のプロでない有名人の解説者が本当に必要なのか、やや疑問に思う次第です。プロでないからいいと言う人もいるでしょうし、私もすべてのこの手の番組を観ているわけではありませんが、ワイドショー的な番組などで、どう見てもその場をまぜっかえしているとか、一応報道関連でも、単に自説主張に終始していたりすることもあり、そういうのを是とする姿勢が、芸能人崇拝に拍車をかけてやしないかとも思われます。
あれやこれや書いて参りましたが、最後はやはり好きなタイプの芸能人で締めくくりたいと思います。先日男性で時代劇に多く出演している人が好きだと書きましたが、他にも個性的な脇役を演じられる人も好きです。特に大河などは、こういう存在がないとドラマそのものが締まらないわけですし。あと女性の場合は、比較的男性的というか、殊更に女っぽさを全面に出さない人が好きであると書いておきます。
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