先日、昭和は大雑把な時代だったと書いていますが、実際この当時のTV番組その他も、結構大雑把だったのではないかと思います。私はこの当時の現代ドラマは、あまりリアルタイムで観ておらず、DVDや再放送あるいはCS(山口百恵さんのデビュー作です)などで多少観た程度ですが、どこか予定調和的で、1つのコミュニティ内で収まっているイメージがあります。主人公が色々ありながらも、最終的には幸せになって、問題も万事解決で、めでたしめでたしといった感じですね。
無論ドラマとは基本そういうものですし、今もそういう展開のものはありますが、日曜劇場などでは、主人公が苦難を乗り越えたにも関わらず、必ずしもハッピーエンドでは終わらない作品もあります。これも昭和と平成以降の違いというべきなのか、単に幸せになりましたでは、皆満足しなくなっているように受け取れます。一方で、女性主人公無双というドラマもありますが、これも時代の変化と言っていいでしょう。
そして大河ドラマと言うのも、ある意味、そういう昭和的大雑把さの上に成り立っていたと言えるかもしれません。大河を大雑把というと反論もあるでしょうが、少なくとも1年近くにわたるドラマ、しかも出演料が高そうな俳優を使ってのドラマ作りというのは、民放も昔はそこそこ作られていたはずです。無論スポンサーがお金を出してくれたし、また、そういう長期にわたる放送を、時代が求めたからと言えそうです。
そのようなドラマがフェードアウトして行く中で、今なお1年物を続けている大河ですが、どうもお金の使い方を知らない人が、無闇に浪費している感もあり、本当の意味で採算が取れる、あるいは話題となる作り方をしているようには見えないのです。話題性があると言っても、何やら特定の人々の間で盛り上がっている感もありますし、その意味ではお金、つまり受信料の使い方がどこか中途半端であるという印象を拭えません。
NHKのことを殿様商売だと書いたことがありますが、実際受信料から何十億も出していながら、それほど採算性があるようにも取れない作品を、延々と何十年も作るのはやはり疑問視されるでしょう、いい加減にしろと怒る視聴者がいても何の不思議もありません。これも先日触れましたが、情報の精度が上がるというのは無駄を嫌う、ある意味合理性を求めるということにもつながるかと思われますが、大河はその意味でかなり「非合理的」と考えざるを得ないのです。
(2021年9月29日加筆修正)
スポンサーサイト