過日目にしたツイートで、昭和というのは今よりも大雑把で、だからこそ今よりもよく見えたという内容の物がありました。また別のブログ記事で、今のTVは金をかけていないから面白くない的な記述を目にしました。この後者のブログ主さんの主張に関しては、以前書いたことがありますが、今はTVだけにお金を投入する時代ではないからと言えます。寧ろなぜTVにお金をかけなくなったのか、その点が指摘されてしかるべきでしょう。
そして前者の方です。これもある意味、TVと関係があるかと思います。この場合の昭和というのは、もちろん昭和の後半、昭和30年代頃から平成に入る頃までを指しているのでしょう。また大雑把というのは、メリットばかりではなく、皆がそこまで物事を突き詰めて考えなかったとも取れるし、他者への共感や公徳心などというのにもまた、少なからず影響していたとも思われます。
その当時の人々情報源はTVまたは新聞ということが多く、そのTVや新聞から一方的に伝えられる情報がすべてであり、その意味では情報も限定的でした。寧ろそれ以外の情報入手手段はまだないのですから、当然その存在を知る由もありませんでした。その後パソコン通信を経てネットが普及し、情報の幅がいくらか広がるにつれて、人々がより精度の高い情報を求めるようになり、大雑把であった時代は次第にその性格を失って行きます。
平成以後の時代が、昭和に比べて悪くなった、あるいは窮屈になったと感じる人もいるようですが、ひとつはこれにもよるかと思います。しかしその一方で、昭和の頃は体に入りにくかった情報を、いながらにして入手できるようになったのは評価すべきと言えます。そしてこれまた別の記事ですが、昭和は所謂エログロが見られてありがたかったなどというのもありました。その代わり治安上の問題もあったかとは思います。
TVの隆盛期は大雑把な時代でもあった、こう結論づけることができそうです。情報がTVまたは新聞によって寡占状態であったため、人々はある意味井の中の蛙のようなものであったとも言えます。それが悪いことばかりではなかったにせよ、やはりその当時と今とどちらがいいかと訊かれたら、今と答えるでしょう。そもそも今のこの時代を生きている以上、無論いくらか批判はあるにしても、今を受け入れることになるわけだし、何よりもその当時に戻ることは不可能なのですから。
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