まず、タイトルが適当ですみません。これは後でご紹介する投稿と関係があります。
本題に行きます。たまたま目にしたツイートですが、家にある百科事典や全集物を、子供が読むことによって知識を蓄え、それが文化の形成につながって行くと書かれていました。これはうなずけるものがあります。
特に時間があり、頭がまだ柔らかい子供時代に色々な書物を読むのは、将来に向けての大きな糧となるでしょう。私も文化の形成に貢献しているかどうかはともかく、百科事典や物語の全集、さらには図鑑の全集などは大好きで、中にはぼろぼろになってしまったものもあります。あと私の場合、辞書と年表を読むのも好きでした。
ただこれにはリスクも伴います。 場合によっては、子供に見せたくない情報が、子供の頭の中に入ってしまうこともあるでしょう。さらには実体験ですが、たとえば生々しい画像や、見るだに恐ろしくなる挿絵なども中にはあり、それがトラウマ化してしまうこともあるものです。とどのつまり、知識や情報を仕入れるということは、本人が見たくなくても目に入ってしまうことをもまた意味しているわけです。
仕事中に、自分の知っているあれやこれやを何かといえば口にして、皆が関心を寄せるのを期待していました。正直な話、こちらが既に知っているようなことでも、あたかも知っているのは自分のみといった口調で話されるのには、辟易したこともあります。
それでも上司だから一応は聞いてはあげるのですが、我が意を得たりということなのか、それに気をよくして、次から次へと何々はどうで…と講釈を垂れられるのには参りました。今にして思えば、その人もまた承認欲求に囚われた人だったのかも知れません。
と書いています。同じ投稿で、確かにあることを知るのは面白い、インプットしたらアウトプットしたくなるというのは、私自身ブログをやっているからわかると書いてもいます。
ただし、自分の話題に興味があるかどうかもわからない相手に、一方的に自分の興味のある話、果ては自慢話を聞かせ、同意または賞賛を求めるのは一種のマウンティングであり、承認欲求と言うべきでしょう。実際仕事での関係もなく、その人と利害関係もないのであれば、積極的に無視または反発したくもなるかと思います。ただ世間にはこういう人も結構いるようで、そういう人への対処方法などもネット上でちらほら見られます。
本人は、知性のある人間と見られたがっていたのかも知れません。しかし、知識と知性というのは別物だなと思います。本当に知性があるなら、相手の気持ちを察することができるはずですし、空気も読めるでしょうから、敢えてこういうことを口にしないだろうし、仮に言うとしても仲間内とか同好の士同志、あるいはちょっとした付き合いの場程度にとどめておくでしょう。
前出の投稿では、そもそもこの投稿をするきっかけとなった、とあるブログ記事に関しても書いています。その記事は、あるお笑い系の人について書かれており、その人の言動が
色々なことを知っている、その人自身を評価されたいために知識を得ている
からであると書かれています。ただお笑いの人は、一方で笑いを取ることもやっているため、その点である意味バランスが取れている人もいるかも知れません。クイズでかなりの成績である割に、意外なことがわからなかったり、ボケをかましてみたりするパターンですね。
それからあるタレントさん、別に名前を出してもいいのですが、タモリさんのように、地質学や鉱物については詳しいけど、植物はよく知らない(本人の弁)ということもあります。それはそうと、最近『ブラタモリ』があまりなくて寂しいです。
あと承認欲求に関しては、アスペルガー症候群との関連性も指摘されています。よくネット上で話題にもなるこの「アスペ」、私もあまり詳しくないので何とも言えませんが、知的障害を伴わない発達障害です。一芸に秀でている一方で、社会生活に困難をきたすことがあると言われ、マイルールを設けていて、必ずその通りにしないと気が済まないとか、他人を立てたり褒めたりすることが苦手とか、空気が読めないといったこともあるようです。
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