既にお知らせしていますが、今回から『青天を衝け』関連投稿は、基本的にこの「徒然」のみになります。最終回まで続ける予定ではいますが、場合によっては、途中で終わってしまう可能性もあります。そうならないことを、望んではいるのですけどね。
日本へ戻り、血洗島に帰って来た篤太夫が、久々に家族と顔を合わせます。しかしかなり成長したていが、しかも見かけが変わってしまった父親に、ああやって抱きつくのでしょうか。このおじさん誰?と尻込みしたりはしないのでしょう。それはともかく、正に「国破れて山河あり」で、家族や親戚たちも平九郎の戦死に無念さを覚えていました。これは、逆の立場ではありますが、『西郷どん』で、西郷家の人々が吉二郎の死を悼むところ、さらに吉二郎が倹約して、小銭を貯めていたことを吉之助が知るあのシーンを思い起こさせます。「失ったものの大きさ」と言うべきでしょうか。
そのような中、篤太夫は、尾高惇忠だけでも生き残っていたのが、せめてもの救いでした。そして、夢の中で話を交わした長七郎の墓に手を合わせ、父とも言葉を交わし、100両を返します。先日も書きましたが、この様々なやり取りの中で、篤太夫が自らの原点を見つめ直し、武士の世が終わった今、自分が本当にやりたいのは何であるかを模索することになります。
個人的に血洗島の描写が好きなせいもあり、この回は割と楽しめました。まだ江戸へ出る前、尊王攘夷に走る前の栄一が過ごした血洗島はそこに存在するものの、あの時とは栄一自身も、また時代そのものの大きく変わってしまっていました。そんな中、ヨーロッパの話を皆に聞かせる篤太夫=栄一ですが、実際渋沢家や尾高家の人々にしてみれば、長七郎や平九郎の死で沈んでいた中に、光明が差したような印象を受けたことでしょう。
その後篤太夫は駿河に慶喜を訪ねます。慶喜は過ぎ去ったことをあれこれ言っても詮方ない、弟を無事に帰国させてくれてよかったと篤太夫をねぎらいます。尤もこの慶喜は草彅さんが演じていることもあり、宮廷政治やフランスとの外交で、薩長方を翻弄した策士としての慶喜とはかなり違っているため、その部分はやはり物足りなく感じられます。篤太夫が主人公だから、それでいいと言われればそれまでですが、寧ろ平岡円四郎の方が策士的なところがありました。あと箱館での土方と高松凌雲、敵兵でも手当をするというセリフに『JIN-仁-』を思い出します。
さて家康公。新政府のシステムも整い始め、江戸幕府は過去のものになろうとしていました。新政府が始めた廃藩置県に関しての言及は、流石には野暮であると言います。と言うか、大名たちが新政府に恭順というのは、江戸幕府開府の際も同じことをやっていたわけです。大名がすべて徳川についたせいで、大坂の陣では牢人たちを集めたのですから。
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