ラグビー関連です。結局オリンピックの男子の七人制は
金 フィジー
銀 NZ
銅 アルゼンチン
となりました。しかしフィジー、流石に七人制の帝王です。
ところでこのブログでは、ラグビーライターの大友信彦氏に関しても何度か投稿しています。この人は記事そのものは読みやすく、よく取材をしているなとは思いますが、アルゼンチンやウルグアイなど、南米びいきのところがあり、それがしばしば文中で頭をもたげることがあります。
今回も、最終的に銅メダルを獲った(そのこと自体は評価したいです)アルゼンチンに対し、日本が不調な時は彼等に勇気づけられる的な記事もありましたが、私に言わせれば、それはちょっと違うのではないかと思います。
それと関連しますが、比較的最近、と言っても1年以上前ですが、「ワールドラグビー会長選に関する2つの記事」(https://bakerhouse221b.blog.fc2.com/blog-entry-3373.html)という投稿をしています。この中で『ナンバーウェブ』の大友氏の文章を一部引用していますが、これもどう見ても、会長候補で元アルゼンチン代表の、ピショート(ピチョット)氏寄りとも思える記述が目につきます。ただこの投稿自体が長めなので、まずここで引用した大友氏の文章について、かいつまんで述べておきます。
ワールドラグビーの会長選挙で、元イングランド代表のサー・ビル・ボーモントが続投することになり、ピチョット氏は落選した。コロナ危機ということもあり、安定した路線を取ったことになる。日本もティア1になったことだし、ピチョット氏はまだ若いから次もあるだろうという判断なのだろう。
しかし日本はティア1という特別なサロンに入れられ、かつての名誉白人のように脱亜入欧に甘んじるのか。それとももっと多くの仲間に、努力してここまで来いよと呼びかけるのか。ボーモントの後ろの老獪な紳士たち、ネオコンのような影がちらつく。それでもピチョットに投じられた、45%の票のうしろにある膨大な人口と市場は無視できない。
IRB(現・ワールドラグビー)は1987年に初めてのW杯を開催後、理事枠の拡大へと舵を切った。アルゼンチン、カナダ、イタリアと日本が新たに理事国入り。のちに世界6地域の地域団体にも理事枠(投票権)が開かれた。だが格差は依然残った。新規参入国・団体に1票が与えられたのに対し、「旧8カ国」には2票が与えられた。ラグビーの歴史の大半を築いてきた伝統国のエスタブリッシュメントたちは、実際の決定権を新参者たちに渡すつもりはなかったのだ。
大体このような感じですが、率直に言って、会長選を伝えるにしてはかなり偏った感があります。ぶっちゃけた話、弱者が強者に憤る、所謂ルサンチマン的なものを感じます。ナンバーも、あるいは最初からその目的で大友氏にこの記事を依頼したのでしょうか。
しかし思うのですが、自国チームが不本意な結果に終わった時、他のチームの方向を向いて、彼らの活躍を観て溜飲を下げるのは、個人のファンならともかく、報道を生業とする人物に取っては如何なものかなと思います。 1999年のワールドカップの際はこれがかなりひどく、ラグビーメディアに関して疑問を持つ一因となりました。 結局、今後の日本代表や協会のあり方について考察するよりも、 勢いのある外国チームを参考にしろという論調になり、どこか出羽守的で、当該チームのすべてを肯定するにとどまった文章が目立ったのを覚えています。 当時の監督が平尾誠二氏だったこともあり、何やら平尾氏アンチといった印象もありました。
尚この元々の投稿でも触れていますが、この会長選を、こちらはかなり客観的に見た日経の記事があります。次回はそれについて、また1つ上のパラグラフのゴシックの部分について書きたいと思います。
(この項続く)
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