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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『青天を衝け』第21回に関して

第21回。いよいよ篤太夫は、パリへ行くことになります。

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慶応2(1867)年、翌年に迫ったパリ万博に、慶喜は弟である徳川昭武を派遣することにした。諸外国も王族を派遣することになっていたが、異国嫌いの孝明天皇には無理だったのである。その昭武の供は水戸藩の藩士たちが務めるが、攘夷で知られた水戸のことゆえ、慶喜としては、篤太夫に雑事や会計などをしながら、彼らを見張ってほしいと考えていた。原市之進からこれを聞かされた篤太夫は、かつて平岡円四郎から一橋家への方向を勧められた時同様、これは僥倖であり、一筋の光がさしたように思われて、つい「おかしろい」と言ってしまう。

そして永井尚志から勘定について説明を受け、見立て養子について訊かれる。その頃成一郎は江戸での仕事を終えて、血洗島で尾高惇忠や平九郎と会い、幕府は大きく変わる、自分は上様を支えると言い、惇忠も慶喜のやり方には同意していた。成一郎が家を発とうとすると、およしがお千代を連れてくる。成一郎は、栄一(篤太夫)とは考えが違い、あいつは今世を夜を拗ねておると言って、お千代を心配させる。その頃慶喜は将軍となり、外国公使に会う手筈を整えていた。そして孝明天皇は神事の後、病床に臥してしまう。

これがもとで、孝明天皇はその半月後に崩御する。皇太子である祐宮が践祚し、朝廷と幕府が一丸となるはずだったが、新帝の背後には反幕勢力がいた。この知らせを聞いた岩倉具視は王政復古を決意する。そして二条城に呼ばれた篤太夫は、慶喜がフランスのナポレオン3世から贈られた軍服を着ているのを見て仰天する。その時篤太夫は昭武に引き合わされ、慶喜は昭武に、向こうでの勉学を含めた滞在についていくつか注意し、さらに篤太夫と話を続けた。

慶喜は次に将軍職を継ぐであろう昭武のためにも、ヨーロッパに滞在させて知見を広めさせたがっていた。2人は共に、家康の遺訓を唱え、篤太夫は自分の人生でこのようなことが起こるとはと驚く。翌日昭武一行は京を発って横浜へ行き、神奈川奉行所で幕府の外国方である栗本鋤雲や小栗忠順らの出迎えを受ける。また外国方の一人である杉浦愛蔵や、医師の高松凌雲とも会うが、その時やって来たフランス公使ロッシュは日本語で挨拶し、昭武と握手をして篤太夫を驚かせる。

外国方の役人たちは、昭武が行くことで日仏間の友好が深まると期待していた。一方で洋書の翻訳担当の福沢諭吉や、通詞の福地源一郎もいた。福地は、フランスではモンブランという人物に気を付けるように忠告する。幕府に接近しようとしていたが、今は薩摩に近づいているらしい。小栗はさらに600万ドルの借款を成立させ、横須賀の製鉄所や軍備を整備し、兵庫を開港するつもりだった。

篤太夫は昭武の留学費について尋ねる。小栗は攘夷倒幕を唱えていた男が、ご公儀のこの先を心配するとはと笑うが、自分が勘定奉行でいる間は必ず送金すると言う。しかし同時に小栗は、1年先はどうなっているかはわからないとネジを篤太夫に見せ、外国の造船所では蒸気機関による機械化がなされており、このネジさえもが機械で作られていると話す。また、今造船所を作ったところでどうなるかはわからぬが、これがいつか日本の役に立つなら、徳川家には名誉なことであると付け加えた。

篤太夫はフランス行きについて、家へ手紙を書いていたが、やはり江戸へ行って成一郎に会おうとする。しかし京へ戻ったと聞かされ、小石川の代官所へ行って、長七郎に会おうと思っていたところ、その成一郎がやって来る。成一郎は、篤太夫がどこかわくわくしているのに気づいていた。その夜彼らは長七郎に会う。長七郎はやつれ果てており、子供の頃岡部の陣屋に、「鬼」こと高島秋帆を見に行ったことを思い出す。

その後2人は屋台のそばを食べながら、見立て養子を平九郎にすることで合意した。成一郎も、惇忠や平九郎を徳川に呼びたいと考えていた。実は篤太夫はもうひとつ心配事があった。お千代から手紙が来ないことだった。もしや他の男にと篤太夫は心配するが、成一郎はそれを一笑に付す。篤太夫は、自分が戻る頃にはこの日本はどうなっているのかと思うが、俺たちでよくして行くのだと言い、船に乗り込む。一方血洗島では、フランス行きの知らせに皆驚いていた。

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家康公、今回は最後に登場です。慶喜が将軍となり、篤太夫は日本を飛び出した、篤太夫やその一家が、そして、我が徳川の世がどうなるのか、この先もしっかりと見届けていただきたいと解説。

さて随行員となった篤太夫に取って、未知の人々との出会いが待っていました。幕府高官はもちろん、福沢諭吉や福地源一郎と対面します。新旧一万円札の肖像の対面です。そして杉浦愛蔵、この人物は「僕」という一人称を使っています。今回は桂小五郎が出てこないので、この一人称を使う人物の登場はこれが初めてでしょう。また篤太夫は握手に驚くというか、正確には憤ります。彼の頭に「シェイクハンド」の概念はありませんでしたからね。

そして小栗忠順。本音では、最早幕府が持たないことはわかっていたかと思われます。しかし幕府が後世に何かを残せるならと、造船所建設まで考えていました。しかしこの時代、既に薩摩では斉彬の時代におひな形的な黒船が出来上がっており、宇和島藩も船を作っていたため、この場合は船を幕府の力で量産すると言うべきでしょうか。しかしドルとかポンドとか、流石に外国方と言うべきなのでしょうか、言いよどみもせずすらすらと出て来ていますね。

孝明天皇を見舞う皇太子祐宮(明治天皇)。種痘をしているから平気とは、コロナワクチンに引っ掛けた感もあります。しかしここで種痘の説明が出て来るのは、ちょっと疑問ではあります。ちなみに京大坂は種痘の普及が早かったとは言われています。江戸では、浜口梧陵が種痘のために醸造所を提供したのは有名な話です。『JINー仁ー』では、ペニシリンを作るために使われていました。

ところでこの回はリアルタイム視聴率が16.5パーセント(関東)だったとのことですが、『ポツンと一軒家』がなかったせいもあるかと思われます。

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[ 2021/07/10 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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