今までにも、文(美和)の登場場面が多い、あるいは長い、そのぶん史実が端折られてしまうということを書いて来ましたし、そういう方法にも慣れてはいたつもりですが、正直いって、8月16日放送分にはちょっと驚きました。まず、先週大田絵堂の戦いで、高杉が八面六臂の活躍をし、今回もその続きがあると思ったのですが、これがほとんどなし。高杉の存在が希薄なまま、奥での銀姫の出産にやけに時間が割かれます。確かに出産は歴史上大事なこと、しかも慶事というのはわかりますが、肝心要の高杉たちが動き回っている時期に、こういうのを長々と放送する辺りが不可解です。制作側ももう、修正する気もなければ、今までへの反省もないと見ていいかもしれません。あるいはこのままお茶を濁すような感じで、最終回まで行くのかとも思われます。
そして、いくらなんでもこれはありえない、文と椋梨藤太2人だけの会話。一介の女中が、役を解かれたとはいえ、藩の重役と一対一で話をするなどということがあるでしょうか。しかも打掛を着ているほどの身分ならともかく、文はまだお仕着せ姿です。ここまで来ると、もう脚本もおかしいし、制作チームそのものの良識というか、大河を作る上で本来持つべき価値観にも疑問を持たざるを得なくなります。もはや何でもありのごった煮状態で、これでは敬語がおかしいのもむべなるかなです。歴史を知らない人たちが、大河を作っているという矛盾を感じずにはいられません。もちろん時代考証の担当の方はいるのでしょうが、その方の意見がきちんと聞き入れられているのでしょうか。
それから文の父百合之助が、体調がすぐれないという理由で、文が一旦杉家に戻ります。もう奥はいいから、また杉家でホームドラマやっていたらといいたくなります。舞台を奥にしたことで、お握り作りはなくなったものの、今度は「恐れながら」と、何かにつけて意見具申する姿、それもはっきりいって、貴女がそれ訊いてどうするのと突っ込みたくなるような態度が目立つようになりました。脚本がワンパターンだなと思います。常に文が目立っていて、何かさせることにしないと、主人公としての面子が保てないというのも、如何なものでしょうか。主人公を一歩引かせることで、その存在を浮かび上がらせるという発想がないのでしょうか。だからいつも文が、押せ押せモードになっているのですが。押せ押せといえば『半沢直樹』を思い出しますが、あの半沢だって、大和田常務を土下座させた後は出向させられたのですが。
さて次回は薩長同盟で、久々に井原剛志さんの坂本龍馬が登場のようです。しかし肝心の薩摩が、全く描かれていないように思うのですが、大久保一蔵(利通)や小松帯刀は出て来るのかどうか。
それにしても、本来ならば高杉は伊藤と洋行を企てたり、あるいはひょんなことから逃亡生活をすることになり、おうのと手に手を取って瀬戸内海沿岸を転々としている頃なのですが、今回はそういうのは全くといっていいほど描かれていませんでした。
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