『応天の門』、前回で死体で見つかったはずの大師こと青海尼は、実は生きていました。
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大師は長岡の菅原家の別荘で目を覚ます。そこへ在原業平がやって来て、大師と青海尼が同一人物であることを見抜く。化粧を取った大師は、正に青海尼であった。清原定成は財産を殆ど大師につぎ込んでしまい、また他の貴族の子弟、彼女に言わせれば「馬鹿な公達」も色々褒美をくれたので、それを元手に貧しい者たちに金や米を与えていたのである。
何故そのようなことをするのか、いぶかる道真に、大師は今までのことを話して聞かせる。かつて長岡京で、内教坊に勤めていた舞姫が密かに子を産み、その子に色々な芸を教えた。やがてその子も舞姫となって都へ出、人々はあの舞姫の再来と騒いだ。それが彼女の祖母だった。その祖母は出家をし、やはり舞姫である自分の娘が持ち帰った褒美を、金や米に変え、長岡の人々に分け与えるようになり、青海尼と呼ばれるようになった。
その娘の、そのまた娘がこの大師=青海尼だった。流行り病で母と双子の姉は亡くなり、自分ひとりで大師と青海尼を引き継いだのである。大師は節会の舞を教える仕事がある、遊行の身ではあるが、仕事はきっちり片をつけたいと言う。定成に見つかる危険もあったが、舞の師匠としての務めをこのまま終わらせるわけにも行かなかった。
そんな大師に道真は、彼女が不老不死の天女と言われていることを逆手に取って、ある秘策を授ける。大師は再び清原家へ戻って、残った8日分の褒美の対価として引き続き定成の相手を務める。
しかし定成は怨霊だと言い、ならば切ってみますかと刀を大師は差し出す。定成は誤ってそれで彼女を差してしまい、大いにうろたえるが、実はこれこそ道真の秘策だった。これであと何度か死んでみせれば、清原様も懲りるでしょうと大師は言い、若様はいつもこんないたずらをなさるのかと問う。しかし道真はいたずらではなく恩義を感じていたのだった。そもそもなぜ大師が、そこまで長岡の民に尽くせるのかが疑問だった。
大師は容姿の美しさを武器にして、皆の幸せのために使おうと思ったこと、大師を続けることで、亡き母も姉も記憶の中にいられるのだと話す。そして道真は普通の貴族と違うと言って迫ってくるが、道真は断る。
その後内裏で大師の舞が披露される。これを見た定成はひどく狼狽し、あの女は死んだ、自分が殺したのだと言って、周囲の貴族たちの顰蹙を買う。大師は業平に、恐らくはこれで話に尾ひれがつくだろうし、しばらくする内に、他の大師が現れるかも知れないと言い、今後は引退して尼として諸国を回ることに決めていた。実はかつて業平は彼女に文を送ったこともあった。今でも口説いてくれるかと言う彼女に、持ち合わせがないと業平は残念そうだった。
青海尼は長岡から姿を消した。道真が彼女のことを気にかけていたため、業平は、宣来子どのに言いつけてやろうか、それとも出家するかとからかう。道真は大師が、生まれながらの才を使わないのは愚かだと言ったことを噛みしめ、自分が才だと思っていたのは家柄によるものであり、才やその使い方については、未熟であったことを思い知る。業平は、お前は自分の道を選べるのだから遠慮するな、才ある者は才を役立てろと励ます。
しかし道真は、才ある者には力がなければならないと答える。業平は一瞬沈黙するが、その業平に対して道真は、あなたはやりたいことをやっている、寧ろ謳歌していますよねと揶揄する。その業平は、彼女も今後どちらかを選ぶのだろうが、ああいう女は強い、したたかに生きるのだろうと言う。
その頃源信は、高価な絹反物の請求が来たことに腹を立てていた。弟の融が、大師に与えるために買ったもので、庭といい絹といい、無駄遣いするなと信は憤るが、融は清原が余計なことをするから、大師が消えたとため息をつく。しかしその信は、美しい比丘尼に会っており、御仏のためなら、助力は惜しまないと約束する。
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少し長めですが、青海尼関連の最終話です。やはり大師と青海尼は同一人物でした。祖母、母の跡を継いで大師と青海尼を、一人二役でこなしていたのです。元々彼女には双子の姉がいて、母亡き後はどちらかが舞姫、そしてどちらかが尼となるはずでしたが、うち一人が子供の頃に亡くなり、両方の役目を引き受けざるを得なくなりました。しかしそうすることで、母と姉が記憶の中にいられると彼女は言います。
その大師、舞姫とは表向きで、貴族に体を売る商売もしていたわけですが、これも尼としての活動を助けるうえでは大事でした。もちろんあくまでも仕事であり、懇意の清原定成のことを、クソジジイ呼ばわりするのを見て道真は驚きます。
しかしその道真は、普通の貴族とはちょっと違うと思った大師は、一度私とと誘うものの道真は当然拒み、普通の傲慢な貴族は嫌だと言いますが、大師はではどんな貴族になりたいのかと探りを入れます。こういう相手には、道真もたじたじです。
その大師が、恐らくは本当に尊敬していた貴族が在原業平でした。彼女は業平に別れを告げ、道真は道真で、本を読んだだけの知識は知ではない、それをどう活かすかなどとも考えていなかったと、彼にしてはしおらしいことを言います。とどのつまり道真は、才ある者が才を発揮するには、力がないとどうしようもないと言いたいわけです。
一方で、俗世間にまみれたような源信と融の兄弟は、大師に貢いだ貢がないで口論になっていました。その信も、とある比丘尼に助力を惜しまないと約束するのですが、その比丘尼はどう見ても青海尼のようです。それにしてもこの件で一番馬鹿を見たのは、自業自得とはいえ、大師にうつつを抜かした清原定成であると言えるでしょう。
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