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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『国盗り物語』に見る明智光秀 62

森蘭丸から光秀の謀反を聞かされた信長は、癖でちょっと首をかしげますが、すぐに
「是非に及ばず」
と言い、弓を取って高欄に出ます。そして矢をつがえて放ちますが、すぐに弦が切れ、槍を取って応戦します。
この応戦は最後まで働き続けようとする気持ちのゆえか、あるいはその人生の最終局面を、最も勇敢な形で飾ろうとする美意識の表れなのか、恐らくはその両方が入り混じったものと取れます。とにかく信長はよく戦いました。

そして長谷川宋仁を呼び、
「汝(うぬ)は武士ではないゆえ、死ぬな」
と言い、女どもを連れて落ち延びろと命じます。その後殿舎に火をかけさせ、濡れ縁に再び出たところ、庭は明智の兵で満ち溢れていました。信長の側近たち、あるいは別の宿舎から駆け付けた者たちも、次々と戦いの中で命を落として行きます。その時、
「右大臣家、御免候え」
と駆け寄って来た者があります。明智家の槍の名手、安田作兵衛国次でした。信長はこの者に一喝し、首を取るため近寄って来たこの人物は、不覚にも信長を拝跪します。

信長は振り向きもせず奥へ向かい、何度を立てきって障子を閉じ、燭台を引き寄せます。彼にとって他人に討たれることなどは許しがたいものであり、自分を殺すのは自分の他にはありませんでした。腹を搔き切り、介錯を誰がしたのかは不明ですが、首が落ち、ほどなくその体は灰となります。
その少し前、夫人の濃姫も絶命します。辻が花の小袖に襷をかけ、薙刀で応戦している内に、明智方の山本三右衛門の槍に掛かって果てています。彼女には実子がいなかったため、道三の血は彼女の代で途絶えました。

そして信長の嫡子信忠です。妙覚寺に宿を取っていた信忠は、包囲軍を崩しながら隣接する二条新御所に移り、この御所に住まわれる誠仁親王に危害が及ばぬよう、移座されるまで戦いをやめるように光秀に通告します。親王は、この時御所にいた里村紹巴が駆け回って手に入れた板輿で出られ、その後戦闘が開始されます。
なお信忠の家臣には、猪子兵助がいました。この人物は、例の正徳寺の会見の際、道三の家来として従っており、道三亡き後は織田家に仕え、そしてこの時は二条新御所から逃げ落ちて、秀吉に仕えて生涯を全うしています。

やがて信忠は二条新御所に火を放ち、自害します。首を打ったのは鎌田新介という者でした。信忠も、死体は縁の下に入れよと命じており、本能寺共々二条新御所も焼け落ちます。
その頃、別の人物が居城を発ち、出陣しようとしていました。細川藤孝です。信長によって、天子や公卿といった伝統が回復され、十二万石余りの大名となり、今は丹後宮津にいました。しかしこの城主は、名義上は息子の忠興となっていました。かつての足利家の臣らしく、二君には仕えぬという教養人らしさを見せたのですが、藤孝はそういう、処世術に長けた面を持ち合わせていました。

そして天正10(1582)年6月3日。予定通りに出陣するつもりでいた藤孝は、城を出るまでのしばしの時間を、大津から来た十四屋という町人との会話に当てていました。藤孝は名門出身でありながら、経済的に苦しい時代を過ごしたせいか、かなりの倹約家であり、衣服も具足も黒のみを用いました。黒は高雅であると思っているせいもありますが、汚れが目立たないのもその理由の一つでした。
また絵ぶすまなども用いておらず、如何にすれば金がたまるか、それを教えてくれたら銀百枚を与えると藤孝は言い、十四屋は、それがお金がたまらない一因ですと返します。この辺りが藤孝のいわば愛嬌でしたが、その時先に城を出た忠興が、慌ただしく戻って来ます。

本能寺の変、信長の「是非に及ばず」が出て来ます。この原作では、すべてを能動的にあきらめ去ったという解釈になっていますが、昨年の『麒麟がくる』関係では、あの光秀から攻められたのであればどうしようもない、そういった解釈も登場していました。ともかく、信長は明智軍を相手に戦い、また商人である長谷川宗仁や女性たちを逃がします。
ただ濃姫はこの場に残り、明智軍相手に奮戦した後に命を落とします。そして信長も、最早これまでと奥に入って腹を切ります。数えで49歳の生涯でした。その後嫡子信忠も、二条新御所から誠仁親王を逃がし、その後応戦した後に自害します。

この時親王のそばには里村紹巴がいました。紹巴は、あの連歌の際の発句が現実のものになったことを、どのように思ったでしょうか。
またこの親王は、本来であれば正親町天皇の跡を継いで即位するべき人物でしたが、この4年後に薨去し、遺児である和仁親王(後の後陽成天皇)が即位しています。
そして丹後宮津では、細川藤孝が出陣の準備をしていました。備中へ向かうつもりで、出陣までの間、大津の商人十四屋との会話を楽しんでいたのですが、前隊の指揮のために先に城を出た子の忠興が、城に戻って来てしまいます。その理由は何なのでしょうか。


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[ 2021/05/29 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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