まず、昨日の分「
花燃ゆ-27 不可解な文(美和)と不思議な大田絵堂の戦い 」で、小田村伊之助を無罪放免としていましたが、正しくは処刑延期です。失礼いたしました、訂正しています。しかしそれで思い出したのですが、高須久子は野山獄にまだ入っているのですね。
しかし、高杉雅が他の何人かと新しく奥に入るわけですが、何週間か前の回でのリストラ、あれが結局無駄になっているような印象を受けます。それと、雅の敬語がおかしいと先日書きましたが、彼女が自分の方から銀姫に口を利いたりしているのもちょっとありえないですね。普通上から話しかけるものです。何だかここは奥のしきたりというものがあまり感じられず、やたらにフリーな感じです。そしてまた文が勝手に動き回るし、あれではスパイ活動やっていると思われても仕方ないでしょう。都美姫が文を叱る言葉が、いちいち正論に聞こえてしまいます。
それと、大田絵堂の戦いを改めて観ましたが、やはりどうも冬の光景という感じがしません。それとこの時は、鎮静会と呼ばれる中立派、実質高杉側の藩士が和平交渉を進めようとしますが、結局藩政府軍の反発を招き、交渉の帰途鎮静会の4名のうち3名が暗殺されます。いわゆる殉難三士と呼ばれる藩士たちですが、これは今のところ登場していません。他にも大田絵堂の戦いには様々な側面があって、それを描いて行けばかなり長くなるのですが、この大河的には奥の方にやはり重きが置かれているようですね。せっかくの長州なのに残念です。
しかし、やっぱり文の描き方はどうにかならないものでしょうか。奥に入って行動に制約が出て来たこと、藩主や藩主夫人との距離が近いことなどのせいか、以前にも増して自身の主観による意見具申が多く、どうにもこうにも共感できなくなっています。脚本担当は、どのような意図でこうしているのでしょうか。そもそも藩主夫人都美姫と銀姫の対立を煽っているのは、文に見えてありません。おまけに家族としょっちゅう会っているし。また雅も、藩主夫人とのやり取りが単刀直入すぎるきらいがあります。この人は、いうなればお情けで奥に置いてもらっていると思うのですが、この態度は如何なものでしょうか。
それから幕末なのに、幕臣が全然出て来ませんね。多分勝海舟も出て来ていないかと。別にこの時期長州だけが動き回っていたわけではないのですが。ただ安政の大獄でも、あたかも吉田松陰だけが罰を受けたような描かれ方でしたし、肝心の水戸藩と井伊直弼の対立もさっぱり描かれませんでしたし、長州だけがすべてのような描写になるのも無理からぬことなのでしょう。実はこの時期、幕府方では小栗上野介忠順が軍事関連でフランスと手を組んでいるのですが、文に関係ないから登場しないのでしょうか。幕末という視点で見た場合、これはかなり重要なことです。
それと敏三郎久々に見ました。結構奇兵隊でうまくやっているようですが、あの手話でちゃんと意思疎通ができているのでしょうか。
スポンサーサイト