功山寺の挙兵から大田絵堂の戦いへ、高杉晋作や奇兵隊が動き始めます。それはいいのですが、また例によって(といっていいでしょう)、文(美和)が実家に匿っていた高杉の妻雅を、息子共々城中に匿わせ、それが問題になります。当初は銀姫周辺だけの秘密となっていたのですが、やがてこれが藩主夫人の都美姫の耳に入り、当然文はとがめだてされます。そのような者の妻を入れるなど罷りならぬというわけですが、どう考えてもこれは都美姫の方が正論です。しかも、息子を銀姫があやしているのですが、当時の習慣から考えてこれはありえないでしょう。
しかも、雅の銀姫への敬語も何だかおかしい。そしてまた、奥の部分がちょこまか出て来る。挙句の果ては、文の長兄の梅太郎(民治)が、高杉たち正義派と俗論党の和議を進めるとのことで、文が自らそのために殿へのお目通りを、これまた都美姫に願い出るというものですが、これも無理があり過ぎです。そして奇兵隊は、民百姓も参加していることなどを都美姫に進言するのですが、この時点での奇兵隊は、藩に刃向う存在でしかありません。その辺がわからないのか、わかっていて確信犯的にこういう行動を取っているのかはともかく、文をこのような人物として描きたがる脚本家、ひいてはNHKもちょっとおかしいと思います。
元々こういうのは、朝ドラの得意とするところです。朝ドラを手がけた脚本家が多いというのも事実ですが、ここのところ大河でもとみに、こういう路線が採られています。それから、高杉雅が、藩主や世子の夫人には乳母がいることを知らないはずはないでしょう。高杉家くらいの家格であれば、子守あるいは使用人くらいはいるのではないでしょうか。それと、これは演出の問題かと思われますが、雅役の黒島結菜さんのセリフ回しが、どこか平板なのもちょっと気になります。『マッサン』のデコちゃんでは、それが素朴な雰囲気でよかったのですが。
それにしても、文はやはり座敷牢に入っていたのですね。伊之助に会った時は仮釈放だったわけです。その伊之助も高杉の挙兵を受けて、処刑延期となります。それと前後するように、文もまた自由の身となります。しかし文は、銀姫には感謝してもし足りないのではないでしょうか。いうなれば、何かにつけて意見具申したがる文の尻拭いをしているのは、銀姫といってもいいほどです。
その一方で、高杉や奇兵隊の動きは流石に大河と思わせるものがありました。これ、高杉→伊藤の順に主人公が変わる設定でもよかったかと思います。やはり男性を主人公にして、それに文が何らかの形で関わる方が、もう少し無理のない描き方ができたでしょう。結局三田尻で軍艦を手に入れ、大田絵堂の戦いに勝利して、萩の菊が浜で威嚇のために空砲を撃ちます。ただ、『花神』のように海軍局に押し掛けて、「ご開門」と叫ぶのはありませんでしたね。また戦闘中で負傷者も出るわけで、ならばこういう時にこそ創作で、伊之助が「仁」となって、ペニシリン持って駆け付ける展開でもよかったかと。
ところでこの大田絵堂の戦いですが、1つ奇妙な点があります。それは、元治2年(1865年)1月6日の開戦であるにも関わらず、草木が青々としていることです。まるで春から初夏の風景です。旧暦の1月といえば、せいぜい今の2月ごろですから、まだ草木が茂る頃ではありません。なぜこのようになっているかは不明ですが、あるいは、当初はこの戦闘は企画になかったものの、戦闘が少ないため視聴者からクレームが来て、急遽収録することになったのかもしれません。しかし冬の戦闘を録るのにふさわしい場所がなく、結局ああなったのではと考えられます。しかし、それならばスタジオ撮影でもよかったかと思うのですが。
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