『武将ジャパン』の、『青天を衝け』第6回のレビューに関しての第2弾です。
木刀で殴り合う道場破りは恐ろしいものがありました。
から始まり、危険だから竹刀が発明されただの、あんな殺人じみた稽古を放送して問題はないのかだの。それでは、戦国大河の戦闘シーンなど、皆アウトになるのではないでしょうか。
そもそも、木刀を使う剣道の稽古というものは存在します。 ですからこの場合特に問題はありません。そして当然ですが、指導の人がちゃんと付いていますよね。あと長七郎の前髪についても言及していますが、そこまで髪が邪魔になるようには見えませんでした。
そして美賀君が短刀を振り回すシーン、
あんな短刀の持ち方では相手は死なない。殺意がない。狂言見え見えでどうしたものでしょう。
などと書かれていますが、美賀君はこのシーンで、人を殺すなどとは一言も言っていません。 慶喜か徳信院か、あるいはその両者への恨みがあるのはわかりますが。あとあのシーンでの短刀を逆手に持つ方法、人を狙うのは難しいのですが、組み伏せた相手を突くのにはああいう持ち方が有利です(その方が殺傷能力も高いです)。『はたらく細胞』の白血球(好中球)が、ダガーをあんな感じで持っていたと思います。
あとハリスの牛乳に関するセリフ、ここでも出て来ています。先日書いたように、徳川斉昭が牛乳を飲んでいたというエピソードに引っ掛けたという可能性もあるでしょう。なのにそういう考察もなく、
船から降りた直後に牛乳を飲みたいと思います?
(中略)
船に揺られたショックがまだ残っていて、気持ち悪くなりかねません。
だそうですが、ハリスはそこまで気持ちが悪そうでもありませんでした。これとの比較なのでしょうか、成田に降り立ったアメリカのビジネスマンが、ミルクを飲みたいなどと言うかといった意味のことが書かれていますが、その当時と今では事情が違い過ぎて比較にならないでしょう。日本で食料が確保できるかと訊きたかったのかも知れません。
そしてここで『西郷どん』を引き合いに出して、
「人と人が出会わないと歴史イベントが盛り上がらない」という思考に陥っている
映像にしない部分を如何に表現するか-という視点が肝要になる
とあります。しかし武者さんの好きな『麒麟がくる』にしても、『おんな城主 直虎』にしても、人と人が会ってばかりだったし、余談ですが、この2作品の奇妙な点として、無位無官の人物が将軍なり大名なりに差しで会ったりしているのですが、こういう点はおかしいとは思わないのでしょうか。
それから
お国言葉は必須
とのことで、美賀君は京都の言葉でないと不自然とありますが、この当時の大河で将軍家や御三卿の家へ入った奥方は、割と普通の言葉を使っているようです。また篤君(篤姫)も島津斉彬の養女ではありますが、それ以前に近衛家の養女としての輿入れである以上、薩摩弁丸出しというのはちょっと不可解です。
ちなみにこの美賀君もこの当時は延君と呼ばれており、関白一条忠香の養女でした。あと美賀君が慶喜より年上ということが、これから理解できたかなどともありますが、それがこのドラマ的にどれほど重要なのでしょうか。その説明がまるでありません。
さらに
『麒麟がくる』は最初から普通の言葉で一貫していた、でも栄一たちは訛っているのに京の公家出身者が京言葉を使っていない
これも戦国物は最初から普通の言葉でやり、幕末の諸藩の藩士や農民は方言を使うのが当たり前になっているからなのですけどね。
そして栄一はステータスが低い、徳川家定はオヤツむしゃむしゃでステータスが低い(『西郷どん』の慶福=家茂にも同じようなことを言っていました)、麒麟には仁政があったなどなど。何のことはない、『麒麟』に比べると『青天』は駄作だという印象を植え付けたくて、必死になっているようにしか見えません。こういうのを大河レビューと呼ぶべきなのでしょうか。
その次のページ、
栄一は武士と百姓の中間層である
とのことですが、その当時の身分制度は士農工商であり、いくら豪農でも栄一は百姓です。だからこそ、御用金を払った時に、言いようのない空しさを覚えたわけでしょう。そしてその次はと言えば、『三国志~趙雲伝~』との比較とか、果ては、自分の役割は中国の諫議大夫(天子を諫める役)であるとか何とか。
要はNHK大河にダメ出しをする人物が必要だ、自分はそうであると言いたいのでしょうが、ならば昨年の大河についても、ダメ出しをするべきところはきちんとしていただきたいものです。嫌いな作品でのダメ出しなど、小学生にでもできるでしょう。
しかしそんなに中国が好きならば、中国ドラマのレビューでもなさった方がいいのではないでしょうか。相変わらず『ゲーム・オブ・スローンズ』の話も出て来ますし。それにしても文章、特になぜここでこれなのかと言うのがわかりづらく、○○の裏にでも書いてほしいと思うほどです。つまるところ 、この大河が何を言いたいかというのを理解しようともせず、批判らしきことを言い、他の大河だの外国物だのと比較するだけの姿勢が、またも証明されたようです。
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