実際は常盤御前は暗殺されてはいないと言われていますが、信長も老人もそこまでの知識は持ち合わせていませんでした。信長の奇妙なところは、日頃あれだけ霊魂の存在を信じず、異常なまでに合理主義を掲げているにもかかわらず、因果応報という言葉にはひどく反応する点でした。悪いことには必ず報いが来るというのが、ひどく小気味よく響いたのでしょう。
そして信長は、この「山中の猿」と呼ばれ、村の者からも人間扱いされていない男には憐れみを覚えます。自分を苦しめた相手に対する憎悪の念が、自分が庇護すべき庶民に対しては、深い同情の念となっているようです。
その次にこの場所を通った信長は、岐阜で調達した木綿20反を自分で持ち、村の者たちにこう叫びます。
「この木綿のうち、10反はあの猿にやれ、あとの10反で猿のために小屋を作ってやれ」
その後信長は木綿をすべて地に投げ出し、そのまま過ぎ去ります。行く先は京で、この時の上洛は、京で公卿になるのが目的であり、この任官受爵は、信長の人生の中でも実に劇的なものでした。また武家が公卿となるのは、平家以来のことでした。
光秀は思います。室町幕府を潰した以上、ここで信長が幕府を開くことを、大名たちは許さないであろうと。
しかも信長はかつては藤原氏、今は平氏を名乗っており、源氏でない以上征夷大将軍になるのは不可能でした。それもあり、天皇家の公卿になるわけですが、これは実にうまい方法でもありました。
かつて皇室は日本国の統治者であり、それを今天下に知らしめつつ、日本統一という事業を進めている信長のやり方は、光秀の目からも、実にうまいやり方ではあったのです。そして3月12日、信長は従三位の参議となります。
また信長の子供たちも正五位上に叙され、織田家譜代の家老にもそれぞれ官職が与えられます。しかし織田家の将の中には、自分の官職名が読めず、公卿たちの失笑を買っている者もいました。
また秀吉は筑前守、光秀は日向守となります。この当時、多くの武将の○○守というのは自称であることが多かったのですが、この場合は正式に朝廷から賜ったものでした。秀吉はこれに伴い、それまで使用していた木下の姓を、羽柴に改めます。丹羽長秀と柴田勝家、それぞれの姓を1つずつ貰っての改姓でした。
光秀の場合は、信長が朝廷に奏上して姓を変えさせます。その姓とは「惟任」(これとう)というものでした。元々は九州のさる豪族の姓で、信長は将来的に九州征伐を考えていただけに、この姓を敢えて名乗らせたとも言えます。無論この姓を、普段から実際に名乗れというものでもなく、光秀はその後も明智を名乗っていました。
そして信長は宿舎の相国寺で光秀を呼び、改姓を気に入ったかと尋ねます。光秀は礼を述べますが、信長にはくどくどしく感じられるのか、光秀が述べ終わらないうちに次の文句を発します。
「その改姓を祝して、そちに丹波一国を呉れてやろう」
信長は憎悪の念も強い分一方で、民に激しく共感する部分もあったようです。山中の猿に木綿をやる場面は、その信長の両面性をよく表しています。
その信長は、将軍義昭を追放した後、自分は参議になって朝廷の臣となります。かつて統治者であった天皇の神聖さを知らしめ、自分の統一事業を進めて行くその考えに、光秀は感心します。
無論信長は源氏でないため征夷大将軍にはなれず、また義昭を追い出した後で将軍になることもできなかったわけですが、寧ろそれを逆手に取ったとも言えそうです。
やがて信長は参議となり、子供たちも位を賜り、家臣もそれ相応の官職を与えられます。しかし信長の家臣の中には無学な者もいて、自分の官名を読めないということもありました。筑前守となった秀吉は羽柴と姓を改め、日向守に叙せられた光秀は惟任という姓となります。
これは日常的に使う姓ではありませんでしたが、信長が奏上して賜った姓であり、九州の豪族に由来することから、信長は後に計画している九州遠征でも、光秀を使おうと考えていたようです。そしてこれに伴い、光秀には丹波が与えられます。
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。
他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。