今回の家康公は、士農工商に関してです。とはいっても元々は、全人口に対して7パーセント程度の武士を、他の身分が支えていたと言うべきなのですが、やがて幕末ともなると、武士以外の人々がこの身分制度に疑問を持つようになります。この身分の厳格化は、下剋上が当たり前のように行われていた、戦国時代を反面教師にしたとも考えられます。
この回は血洗島パートがメインでした。栄一は百姓が身を削って集めた金を、代官がさっさと取り上げるのに疑問を抱き、尾高惇忠が貸してくれた『清英近世談』を読んで、今の日本が置かれた状況に危機意識を抱きます。この本をたまたま目にした尾高千代は、兄たちがこの本を読む時はただならぬ表情になると心配しますが、栄一は村を守ろうとしているのだととりなします。その頃渋沢家では、栄一の姉なかの縁談が持ち上がっていましたが、相手の家が憑き物筋であるため反対し、最終的には拝み屋を呼ぼうとまで言い出します。
一方幕府では夷狄排斥を唱える徳川斉昭と、列強と伍して行こうという阿部正弘が対立します。そして慶喜は列強について知りたいと思い、藤田東湖にそのことを伝えようとしますが、父斉昭が反発するのではと気になっていました。しかし東湖は、斉昭も阿部の言うことは理解しているはずだと説き、円四郎は東湖の子小四郎に、靜臣とは東湖のような人物のことなのだろうなと言います。その当時は黒船に加えて疫病も流行り、また血洗島では、なかは破談となってしまい、元気をなくしたため憑き物が憑いたと思われ、修験者が呼ばれます。
しかしこの修験者の言うことにはどこか怪しい点があり、栄一はそれを指摘したため、修験者たちは出て行ってしまいます。破談になって元気のなかったなかは、父市郎右衛門と共に集金に出て行き、帰ったところで栄一がニセ修験者を追い出すのを目にします。その後のなかは、遠出したのがよかったと言って、元通りに元気にふるまうようになります。しかしその頃安政の大地震が起き、斉昭が片腕としていた東湖は、この地震によって落命してしまいます。
この血洗島のパートは、主な人物がまだ若くはつらつとしていることもあり、これはこれで1つのドラマとして成立していると思います。寧ろ、これをメインに土曜時代ドラマまたはBS時代劇を作るといいのではないかと思うほどです。当時の民間信仰であるとか、桑の葉摘みの様子などもよく書かれています。アヘン戦争の話がいきなり書物から入るのはちょっと疑問でしたが、背景に関してもその後説明されていました。このアヘン戦争から入る列強の脅威は、幕末大河のテンプレとも言えなくもないのですが、幕末を語るうえで避けては通れないでしょう。
それから江戸幕府関連、日本にロシア船がやって来て被災するところで、ロシア人を皆殺しにしろと言う斉昭ですが、それはよくないと阿部正弘は反論します。これを慶喜が懸念しますが、東湖に斉昭の本心を聞かされて納得します。ただ、黒船来航と疫病の関連性ですが、これに関する描写がもう少しほしいところです。あれだと、単にアマビエを出すための展開にしか見えませんので。実際眼病が流行ったとも言われ、またもう少し後になりますが、コレラのエピデミック現象が起きるようになり、この時は疫病よけの牛頭天王を祀ったと言われています。『JINー仁ー』に登場するのも、この少し後、文久年間のコレラ大流行の頃ですね。
スポンサーサイト