『青天を衝け』の放送が始まって以来、例年に比べるとかなりあっさりめ、かつ緩めの感想を毎週投稿しています。今まで通り、あらすじと感想を投稿しようかとも考えたのですが、何せ私は一昨年昨年と、途中で視聴を止めてしまっており、今年も今後どうなるかは未定ですので、敢えてこうしています。
無論今のような路線で物語が展開するのであれば、観続ける可能性は高いでしょう。ともかく次回の分まで観てから、その後の路線を決めることになりそうです。
かつて『おんな城主 直虎』が放送されていた時、9月ごろまではリアルタイム視聴していたものの、その後録画視聴にしてしまったように、これは馴染めない、あるいは途中から馴染めなくなったという大河を、完走するのは難しいものです。
観なければいけないと考える、あるいは実際に気が進まないながら観るというのは実にストレスがたまります。結局『いだてん』で演出について行けなくなり、視聴しないという選択をしたわけで、『麒麟がくる』もこれは同じでした。脚本もそうでしょうが、やはり演出に何かしらの抵抗を覚えると、観続ける意欲は薄れます。
脚本に関して言えば、当然ながら『いだてん』はクドカン色が強く舞台的でした。『あまちゃん』との違いをもっと考えるべきだったかなと思います。
『麒麟がくる』も、「庶民代表」であるオリキャラメインの部分が多く、そこまで庶民を出したいのなら、土曜時代ドラマかスペシャルドラマの方がよかったでしょう。攻めた作品にしたかったのでしょうが、どうも今一つの印象がありましたし、何よりもこの作品は、池端氏自身が『太平記』をなぞっているようにも感じられました。
脚本家、あるいは作家などでもそうですし、また大河に限らないだろうとは思いますが、ある程度年齢を重ねることで、それまでの自分の経験値に頼るようになり、それがどこか二番煎じ的な印象を与えてしまったようにも見えます。
大河の脚本家と一口に言っても様々ですが、代表的な人物としてジェームス三木氏が挙げられると思います。この人は正に攻めの姿勢で大河を書いた人と言えますが、そこまで演出が過剰になることもなく、それぞれの作品に似通った部分はあったにせよ、それなりに楽しめもしました。そのジェームス三木氏の3本の大河のうち、一番最後の『葵 徳川三代』が書かれたのは、ジェームス氏が60代前半の時です。
やはり大河のような長丁場は特に、そこそこ若いうちの方が体力的、気力的にもいいのではないでしょうか。もちろんマンネリと言われようが、その人ならではの作風をディープに楽しむ作品であれば、ある程度年を取ってからの執筆というのも考えられますが。
ところでこの『青天を衝け』のOPに関してですが、これはあまり大河らしくないなと思います。朝ドラとか、土曜時代ドラマのように見えて仕方ありません。『龍馬伝』や『西郷どん』のようなダイナミックさを、多少期待してはいたのですけどね。
スポンサーサイト