まず、先日の投稿文に数か所ミスがありましたので、訂正しています。
この回は、シリーズで初めて湯川が対決を申し込まれ、音響兵器で命を狙われるまでになります。しかも湯川の相手である高藤は、かつてはやはり物理学の教授であったものの、湯川に自分の最新ともいえる理論を否定されて湯川を怨んでいます。何やらホームズとモリアーティの対決を連想したのはそのためでした。ただ高藤がモリアーティと違うのは、ネットワークがないことです。それが組織的犯罪を不可能にし、事件現場に必ず自分がいなければならないという状況を作り上げたわけですが、その代わり、事前にネットの掲示板に殺人を示唆する書き込みをし、ことが成った暁には手紙、場合によっては暗号解読票までをも送りつけることで、自らの犯罪の成功をアピールしたわけです。その手紙の裏には、あたかも己の成功を誇るかのように、書き込みをしたサイトのアドレスが、プリントアウトされていました。
またこの事件は、多少『容疑者Xの献身』を思わせるものがあります。どのような点かというと、
*主人公が一定の理論を打ち立てる能力を持ちながら、現状でそれが受け入れられていない
*むしろその能力をマイナスの方向に役立てている
*本来、自分のやっていることの善悪がつかないはずはないが、それを無視して自分の目的に走っている
もちろん異なる点もあります。たとえば高藤は、『容疑者X』と違って湯川とは友人関係にはないし、誰かを庇うこともなく、自分の存在を気づかれないようにすることもありません。それどころか、「悪魔の手」としての自分を喧伝したがっているようにも取れます。湯川と対決する自分を、世間に認めてもらいたいという思いもあるようです。
また高藤は、同居人の冬美を殺害し、山中に埋めてしまいます。逮捕時に車の中にあったスコップは、その時使われた物かと考えられます。この件は「悪魔の手」ほど大々的には扱われませんが、栗林が家を訪ねて行った時、あたかも彼女がいるけど不在であるように見せかけ、また自分たちの寝室のふすまを開けようとして、急いでそれを制したりもしています。自分が殺したと疑われるのを避けたかったのでしょうが、しかし如何にかつてのことが絡んでいるとはいえ、直接の原因は自分と冬美の口論であるにも関わらず、彼女の死を湯川のせいにしたがるのもどうかと思います。
いわば自分を否定されたことにより、すべてを見失ってしまっている人物とも取れます。無論だからといって、「悪魔の手」を自称し、無辜の人物を殺害することなど許されるはずもないのですが。
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