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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『新・平家物語』総集編を観て 3

第2巻前半のあらすじと感想です。

第1巻の最後で、清盛が常盤の姿を見送ってから10年が経ち、平家一門は栄華の頂点を極めました。しかし院政を敷く後白河法皇とは、次第に対立するようになります。そんな折、清盛は娘の徳子を入内させることにします。後白河法皇の御所で琴を弾く徳子を、高倉天皇が目にします。徳子は慌てて一礼し、帝から清盛の愛情深い娘であろうと訊かれて、自分は兄たち同様木登り好きで、父に肩車をしてもらったと答えます。無論帝にそのような経験はありませんでした。

その清盛は、法皇に大輪田の泊での日宋貿易の許可を得ようとしますが、これに反対する者も多いため、時を待てと法皇は言い、やがて徳子は入内します。一方で鞍馬寺に預けられていた牛若は、「天狗」たちと密かに剣の稽古をしており、やがて鞍馬の火祭の稚児舞の後、天狗たちと山を下って、母常盤と久々の体面を果たした後に東国へ向かいます。一方伊豆に流されていた頼朝は、北条時政の娘政子と恋仲になります。

やがて鹿ケ谷の陰謀が発覚します。平家一門が武装して西八条の館に集まりますが、陰謀のもとは、法皇の住まいである仙洞御所と言う噂が流れます。大納言藤原成親が首謀者のようで、清盛は、流石に法皇に弓は引けないから、ことが収まるまでお引きこもり遊ばすようにと言います。御所の蛆虫どもを退治するというのが清盛の言い分でしたが、さらに法皇が、源氏の流れを汲む多田行綱に軍資金を与えていたことがわかります。最終的に成親、俊寛僧都、平康頼そして西光法師が処罰の対象となり、然る後に清盛は甲冑姿で法皇に目通りします。最近は伺候する者もおらぬと法皇は言い、さらに例の4人は清盛に委ねると言うものの、清盛が甲冑姿であったことから、ゆるりと話したいのに、そのような暑苦しい格好をと皮肉ります。

治承2(1178)年12月22日、徳子は皇子を出産します。後の安徳天皇です。その誕生を祝う式典で、清盛の嫡男重盛は具合が悪くなって中座し、その後ほどなくして亡くなります。そして平家一門と院とは、重盛の領地没収を巡ってさらに対立し、法王は鳥羽へ蟄居となります。これには時子も、帝と徳子の心痛は如何ばかりかと夫に直訴しますが、清盛は何もかも承知している、一門のためであると時子を諭します。しかしその翌年、源頼政は以仁王の御所へ赴き、平家追悼の令旨を求めます。令旨を渡すべき源氏の武者たちについても、頼政は既に調べ上げていたのですが、これは平家の知るところとなります。

平家の圧倒的な武力の前に、以仁王と頼政は三井寺を出て奈良へ向かいます。しかし最早頼政が探していたのは自らの死に場所でした。そして若草山を見た後、以仁王も覚悟していたのか、新宮十郎行家に託した令旨の行方を案じつつ、自らの首をはねるように頼政に命じ、後に頼政も後を追います。これは反平家勢力にも影響を与えました。

清盛は都を福原に移します。しかしその間にも令旨は諸国へと行き渡っていました。やがて源氏の中でも頼朝と妻政子の実家北条氏、木曾義仲が蜂起し、そして東国へ逃れた義経は初めて兄と面会します。また清盛は、負け戦を嘆いても仕方ない、これ以上負けられないとのみ口にします。その頃京では、福原から都を戻すようにとの声が高くなり、清盛も福原に固執はするものの、最終的に時忠の進言により京へ戻ります。

清盛は、いつかまた福原へ戻る日が来るかと商人の伴卜に尋ねます。清盛の福原、ひいては大輪田泊への愛は根強いものがありました。そして彼が戻った京は、南都興福寺を始め反平家勢力の巣窟と化していたのです。(第2巻前半終わり)

平家の栄華と没落の始まりが描かれます。娘の徳子の入内ですが、その前に徳子がたまたま高倉天皇に会い、自らのことを語るシーンが出て来ます。この時木登りをしたと徳子が言いますが、大河における少女の木登り=おてんばというパターンはこの頃既にあったようです。もちろん帝は、そのような経験はありませんし、徳子も最近は、父と触れ合う機会は少なくなったと言い、平家の置かれた立場の変化が窺えます。それでも清盛と一緒に福原に、恐らく独身最後の旅行をしているわけですから、彼女が惜しみない愛情を受けていたことがわかります。

清盛は、日宋貿易の許可を得るべく後白河法皇に拝謁しますが、既に工事を進めていることを法皇は見抜いていたようです。もう少し待てと法皇は言うものの、この辺りに両者の確執が後々深くなって行く、その伏線が見えて来ます。実際、鹿ケ谷の陰謀が発覚し、これに法皇の側近成親が関与していたということから、清盛は御所の蛆虫を退治すると言いつつ、その実法皇の動きを牽制したかったようです。それやこれやで、甲冑姿で御所に参内した清盛に対し、法皇はそのような暑苦しい格好をと、皮肉めいた口調で述べます。

その後皇子、後の安徳天皇が誕生しますが、平家がかつて残した禍根-つまり頼朝や義経は既に大人となり、東国で旗揚げを窺うようになっていました。これは木曾義仲も同様でした。また清盛の嫡男重盛が病を得て亡くなります。この嫡男は清盛とは違った立場を取り、それゆえに清盛を暴走させないための枷となってもいました。その人物が父親より早く亡くなったことで、その後の平家に狂いが生じるようになります。尚、父や兄を子や弟が諫めるという点では、
毛利元就-毛利隆元(父子)
武田信玄-武田信繁(兄弟)
豊臣秀吉-豊臣秀長(兄弟)
も似たようなものです。
(真田昌幸と信之も当てはまるかも知れません)

さて源頼政と以仁王の令旨です。『平清盛』ではこの令旨の回は視聴率が最低であり、大河視聴率ワースト20のうち19を『いだてん』が占める中で、唯一残っている『平清盛』のエピでもあります。私としては、この回も1つ前の回も、そこまで内容がよくないとは思いませんでしたが、裏にスポーツ中継でもあったのでしょうか。閑話休題。重盛の死後その領地を巡って、清盛と法皇のバトルがいわば表面化します。ちなみにこの大河では盛子の所領は出て来ません。そして今度は源三位頼政が以仁王に令旨を依頼して、新宮十郎行家に持たせて全国を廻らせます。この令旨により、諸国の源氏が蜂起するに至ります。

ただ肝心の頼政、そして以仁王は平家に屈し、奈良へ逃げて共に人生を終えます。この時以仁王が頼政に対して、「老いたりとも、その老木に花が咲く」という、老木(おいき)の花の例えを持ち出します。しかしこれは世阿弥の言葉と思われますので、実際はそれよりも遥か後のはずなのですが…。ともあれこの後、2人の悲願であった令旨は様々な武士の許へと届けられ、頼朝は挙兵、義経も富士川の合戦の後頼朝の宿営を訪れます。この時の頼朝は(嘘の)涙を流すのではなく、微笑していました。尚この大河での以仁王の中の人は、『半沢直樹』の中野渡頭取の中の人です。

そして清盛。負け戦を嘆いても仕方ない、これ以上負けないようにすると、何やらワールドカップのリーグ戦で連敗したチームの、監督のような言葉を口にしています。自らが半生を賭けた、それゆえに思い入れの深い福原の都に、やはりというか尋常でないこだわりがあるようですが、時忠と話し合った結果、結局京へ戻ることになります。しかし京は、既に平家に取っては敵だらけの地となっていました。

尚この総集編には、建春門院滋子は出て来ません。『平清盛』で天然パーマの髪が印象的だったこの人物の崩御は、その後の政変に、少なからず関与してくるわけなのですが。

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[ 2020/10/20 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『青天を衝け』の感想も書いています。またBSで再放送中の『黄金の日日』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2021年には北半球最強であるブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの試合も組まれています。このチームにいい試合をし、今後さらに上を目指してほしいものです。国内のラグビーも、2022年からはいよいよ新リーグがスタートです。

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