『アンという名の少女』というドラマをNHKでやっています。と言いつつまだ観たことがないのですが、NHKの前はNetflixで配信されていたようです。タイトルにあるように、かの『赤毛のアン』をドラマ化したものです。
以前、
赤毛のアンに見る英文学へのオマージュ という投稿の中で、松本侑子さん訳の『赤毛のアン』について触れていますが、この作品にはかなりの英文学からの引用がなされており、著名な作家だけではなく、マザーグースからの引用もあります。ちなみにマザーグースといえば、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』に、『コック・ロビンの死と葬い』(誰が殺したコック・ロビン)や『ハンプティ・ダンプティ』、『マフェット嬢ちゃん』などが引用されています。『ハンプティ・ダンプティ』といえパペットホームズの
ショルトー兄弟 を思い出しますし、『マフェット嬢ちゃん』はあまり知られてはいないのですが、昔のイギリスの風俗を知るうえで興味深いです。尚横溝正史の『悪魔の手毬唄』はこの小説の影響を受けています。
閑話休題。その松本さんが自身のツイートで、この『アンという名の少女』には、宗教色がないと指摘しています。非キリスト教徒への配慮であるという指摘もありますが、同時に、本来の『赤毛のアン』にあるものは、紛れもなく隣人愛をテーマとするキリスト教的作品であるとも言及しています。孤児であるアンへの愛(アガペー)により、マシューとマリラもまた救われるということで、この場合の教派は、カルヴィニズムの一派である長老教会です。
無論この『赤毛のアン』のみならず、欧米、キリスト教圏の物語というのは、大抵が宗教的な意味合いを含んでいます。日本でこういう作品がたとえばアニメ化される場合、宗教色をそこまで感じることはありませんが、原作を読んでみるとかなりキリスト教的色彩が強いです。また各教派の違い(これは『赤毛のアン』にも登場)が描かれている作品もあり、時にそれが作品中で、軋轢を生むもととなったりもしています。
また前出の投稿とは別に、
花子とアンと赤毛のアン という投稿で私は、村岡花子さんの訳について書いています。村岡さんが翻訳を手掛けた当時は、キルトのベッドカバーと言ってもなじみがなく、刺し子の布団枠と言い換えたりしているわけで、その当時の翻訳者の苦労が窺えます。これまた余談ながら、北米の人たちは実際キルトが好きで、バースデープレゼントがキルトということもあります。またしても閑話休題。『赤毛のアン』が世に出た同じ頃の、他の翻訳者の作品もまた、タータンチェックという言葉が一般的でなかったため、弁慶縞などと訳されてもいたらしい。実は今ある翻訳小説、それも昭和40年代頃の訳のを読んでいますが、これもまた翻訳者の苦労が所々偲ばれる作品となっています。機会があったら書きたいです。
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