硝子会社社長ゲエルについての続きです。このゲエルもとある倶楽部の会員で、超人倶楽部よりも居心地はいいとあるので、一部のインテリが小難しい話を延々と繰り広げるような空間ではなかったのでしょう。調度も贅沢で、セセッション風と書かれていますが、これはウィーン分離派のことで、グスタフ・クリムトを中心とした、所謂アール・ヌーヴォーを意味しています。インテリアも如何にもお金がかかった感じで、ゲエルはそこでコーヒーを金のスプーンで混ぜながら、政治の話をします。
政党は政治家のもの、その政治家を支配しているものは新聞社と言うゲエルですが、彼自身はその新聞社の社長を支配しています。尚政党、新聞社とも奇妙な間投詞の名前がついています。主人公はここで、労働者の味方である新聞記者たちが、社長の支配、ひいてはゲエルの支配を受けていることに同情するわけですが、そのゲエルを支配しているのがその妻であると、ゲエルは得々と語ります。突き詰めて言えば、政治を支配しているのはゲエル夫人となり、しかもゲエルは、主人公が河童でないからこそ、あなたの前で妻が自分を支配していると口にします。
実際かつて、ある雌の河童のために戦争が始まったことがあるとゲエルは言います。河童の仮想敵は獺(かわうそ)であり、しかも勲章を持った獺がある河童の夫婦を訪問した際、妻が誤って夫に飲ませるはずの、青化加里(青酸カリ)を入れたココアを獺に飲ませてしまい、両国の間で戦争が勃発したというのです。この時ゲエルは石炭殻を食糧として戦地へ送っています。河童は空腹なら何でも食べるためです、主人公はそれは醜聞だと言いますが、ゲエルは自分が言う以上そうはならないと澄ましたものです。しかも多くの河童が戦死します。
そこへ給仕が入って来ます。こともあろうに、ゲエルの家の隣が火事だというのです。幸い火は消し止められましたが、うろたえるゲエルは最早資産家でも何でもない、ただの河童となっていました。主人公は花瓶の冬バラを抜き、ゲエルの妻に持って帰るように言います。しかしここで終わらないのがゲエルの強かさで、隣の家のオーナーであった彼は、火災保険の保険金だけは撮れるとほくそえみます。主人公は複雑な気持ちです。
金持ちのゲエルにふさわしい倶楽部と自慢話が続くものの、最後の部分で隣家が火事と聞いてうろたえる辺りは常人ならぬ常河童です。しかしこれで保険金が取れると言うところに、やはりこのゲエルのゲエルたるところでしょう。ところで文中に
(何しろ河童の強敵に獺のゐるなどと云ふことは「水虎考略」の著者は勿論、「山島民譚集」の著者柳田国男さんさへ知らずにゐたらしい新事実ですから。)
とありますが、それは芥川龍之介の脳内妄想かと…と言うか一部の民話では、河童は獺が変化したものだと言われてもいますので、この発想にはうなずけます。それにしても新聞社の社長を支配云々というのは、株主であるということなのでしょうか。
しかしこの当時、新聞を支配することは間違いなく権力であったと言えるでしょう。石炭殻という単語共々時代を感じさせます。
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