特に男性主人公の大河の場合、往々にしてその父、あるいは主君といった人物が人生の師となることがあるものです。しかし今年の『麒麟がくる』の場合、あまりそういう存在が感じられず、そういった点もまた、女性主人公の大河のように見えてしまう一因かと思われます。確かにこの大河には、光秀の亡父の代わりとなる存在として、斎藤道三も、明智光安も一応登場しています。
しかし道三は、最初から如何にも策士的に描かれているため、義理の甥である光秀を後継者とみなし、色々と手ほどきをしているようにはあまり見えませんでした。道三の人生そのものをじっくり描いていないせいもあるでしょう。また明智光安は如何にも頼りない雰囲気でした。またも比較になってしまいますが、『国盗り物語』の道三と光秀は、如何にも叔父甥の雰囲気が感じられたのに残念です。
小見の方がそれほど登場しなかったのもその一因でしょう。本来この人物は、もう少し夫道三と甥光秀をつなぎとめる、楔のような存在として描かれてもいいはずでした。しかし実際は、望月東庵を出すための病人として何度か登場したのみにとどまり、所謂「ナレ死」で、その存在感の薄さが気になりました。
無論信長サイドでも、本来はもっと大事な立ち位置であるはずの平手政秀が、さほどでもなかったのもどこか引っ掛かりました。さらに、上杉祥三さんはあまりこういう役に向いていないなとも思いました。この平手政秀を含め、傅役や乳母、侍女など、主人公の人格形成にかなり重要と思われる存在があまりいないという点も、いささか「らしからぬ」印象を与えたといえます。
こういう点は『軍師官兵衛』も『真田丸』もきちんと描かれてはいました-『真田丸』の場合、父親は反面教師的な側面もありましたが。また戦国ではありませんが、『平清盛』で、中井貴一さん演じる清盛の養父忠盛もまた、清盛を棟梁にした辺り、血のつながりはなくても一門を託すという決意が見て取れました。もちろん幕末大河の『龍馬伝』、『西郷どん』しかりでしょう。前者は結構乙女も龍馬を鍛えており、後者は吉之助は斉彬の家来というより弟子といった格好でした。
ところでこの中井貴一さんですが、『鎌倉殿の13人』に出てほしいなと思っています。三谷さんの作品にも出ていますし、前出『平清盛』を最後に大河出演がありませんし、どうも『雲霧仁左衛門』と『サラメシ』の印象が強くなっているように感じられますので。その場合の配役ですが、北条時政の役など意外と似合っているのではないでしょうか。
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