美濃稲葉山城を陥落させ、その地の名を岐阜と改めた信長ですが、地侍の抗戦はなおも続いていました。これを固めるのが彼の当座の仕事でもあり、上洛はその先になりそうでした。この間軍を、小牧城をはじめ尾張と美濃のいくつかの城に分散させ、自身は外交に力を入れます。まず京へ向かうに当たって外せない近江の浅井氏には、妹のお市を嫁がせます。そして難敵と思われる武田信玄が控えています。この武田の兵は、織田の兵とは格段の差がありました。
織田の兵も信秀の鍛錬、そして信長の軍事における能力があって初めて動き始めたわけで、それまで尾張の兵は東海一の弱さと言われており、とても武田の兵に真っ向勝負を挑めるものではありませんでした。しかも武田信玄自身が戦上手であり、さらに悪いことには、信玄自身も上洛を夢見ていたことです。ただ信玄に取っての弱点は、北方に上杉謙信が控えていることでした。さもなくば、織田など捻り潰されていてもおかしくはなかったのです。
この点信長はラッキーでしたが、しかしいつ謙信が戦をやめるかもしれず、そのためにも信玄を手なずけておく必要がありました。そのために信長はこう考えています。
「猫でゆく」
つまり猫のように信玄にじゃれて行くということですが、猫からすれば人間に手なずけられたとは思っておらず、寧ろ自分では人間を手なずけたと思っているかも知れず、そもそも手なずけられるのも手なずけるのも、危険を回避するという意味では同じでした。
さて、猫のようにじゃれることを決意した信長は、信玄に贈り物を始め、甲斐大僧正(信玄)ほど慕わしいお人はいないとまで言い始めます。これには武田の間者も乗せられ。信玄自身信長を妙な小僧だと思いつつ、その「小僧」に興味を抱くようになります。さらに甲斐は尾張の隣国ではなく、そのため信玄もそこまで神経をとがらせることはありませんでした。その信玄がある時、信長からの贈り物を箱ごと持ってくるよう側近に命じます。
信玄はその箱の一部を小柄で削り取ります。その削りあとを覗いた信玄は、その箱が七度塗りであることに感動し、信長は誠実な男であるという印象を抱きます。ここに来て、信長の策略の第一段階がまず成功したことになります。さらに信長は、今度は武田家と姻戚関係を結びたいと申し入れ、遠山家の娘である雪姫を嫁がせます。雪姫は亡き小見の方の妹の娘で、美しさでは定評があり、信玄の子勝頼に輿入れさせることになります。
この勝頼と雪姫の間に生まれたのが信勝です。しかし雪姫は、信勝を出産した直後に亡くなっており、信長はさらに姻戚関係を結ぶ必要がありました。今度は信玄の娘菊姫に、長男の信忠を目合わせるというものです。無論この当時、嫁入りということは人質ということであり、格下の織田家からそれを言い出しても、断られる公算が強かったのです。しかし信玄はそれを承諾し、また上洛の際、織田家を先鋒に立てるという利用価値も見出していました。
無論信長もぬかりなく、先鋒に立つことを信玄に伝えていました。心の内では信玄も意外に甘いと思っていた信長ですが、表向きは大喜びで、婚約の礼として虎や豹の皮、緞子などを贈り、信玄からは返礼として熊の皮や蝋燭、漆、馬などが贈られて来ました。信長にはさほど珍しくもない品でしたが、これも喜んで見せ、さらに武田家使者である秋山伯耆守晴近に鵜飼を見せたりもしています。このような中、信長は次なる段階に備えて人材を召し抱えていました。
明智光秀という名前が、信長に知られるようになったのはその頃です。織田家に仕えるようになった猪子兵助からその名を聞いたわけですが、兵助はそれ以前に光秀から文を貰っていました。その文には、推挙してくれという言葉はなく、ただ朝倉家の客分に飽き飽きしており、いずれ公方様のお指図によって、実力を発揮できる地に行くつもりだと書かれています。この「公方様」という言葉を散りばめることで自分を安く見せないとという、光秀なりの配慮でしたが、信長は、明智が光り秀でているといったその名に関心を持ち、こうつぶやいています。
「めいち・こうしゅう、か」
岐阜を安定させ、上洛の準備をする一方で、信長は武田氏と姻戚関係を結ぶ計画を立てます。最初に濃姫つながりで雪姫を嫁がせ、信勝が生まれます。尚この信勝は、信長の甲州征伐の際に、父勝頼と共に天目山で自害することになります。しかし雪姫が亡くなり、今度は自身の息子である信忠と、信玄の娘である菊姫を目合わせることになります。この人物は実は婚約するものの、その後の両国の関係から解消となり、正室とはなりませんでした。
しかし相手にすり寄るというのは、信長もなかなかやるものです。それで、いわばあの信玄を骨抜きにしてしまうわけですから、この策は一時的に成功したといえるでしょう。尤もこの後、三方ヶ原の戦いで徳川家康と敵対し、家康に信長が援軍を送ったため関係は悪化してしまいます。そんな中、信長にめぼしい人材として、明智光秀が紹介されます。信長がまず関心を持ったのは、その名前の字面のよさでした。
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