JSPORTSで、コメンテイターが自分の好きな試合、選手を選んで語る30分番組『日本ラグビー名場面集~J SPORTS RUGBY オールタイムベスト~』というのがあります。この中で、ラグビージャパン365のしょっさんこと大西将太郎氏が、好きなゴールキッカーについて話しています。大西氏自身もかつてはキッカーであり、2007年ワールドカップで、カナダと引き分けた際の同点ゴールは有名です。
ゴールキッカーと言えば、最近では有名なのは五郎丸歩選手、田村優選手などですが(神戸製鋼とサンウルブズが好きな人はヘイデン・パーカー選手も)、この場合は大西選手がほぼ同世代、あるいは若干先輩のキッカー3名の名前を挙げています。それは誰か。(敬称略)
廣瀬佳司
田邊淳
栗原徹
懐かしいと言う人もいれば、全然知らないと言う人もまたいるでしょう。しかしこの3名、紛れもなく、90年代から2000年代の日本ラグビーに輝いた選手たちです。
まず廣瀬選手、『ノーサイド・ゲーム』にも出演した廣瀬俊朗氏ではもちろんありません。1999年大会を含む3回のワールドカップの代表に選ばれ、正確なキックでゴールデン・ブーツと呼ばれたスタンドオフです。かのオールブラックスの10番(ファースト・ファイブエイス)グラント・フォックス氏の教えを受けてもいます。99年ワールドカップでは、この選手と現日本協会専務理事の岩渕健輔氏とが、正スタンドオフを目指してしのぎを削っていました。岩渕氏は現役時代、自らボールを持って相手ディフェンスを突破する、奔放なプレイが評価されましたが、この時は最終的に得点を取れる廣瀬氏が優先された感はあります。寧ろ岩渕氏の場合はこの大会後で、日本人初のケンブリッジ・ブルーを得た方がニュースになっています。
田邊氏は、高校大学時代をNZで過ごし、帰国後は三洋電機ワイルドナイツ(現・パナソニックワイルドナイツ)に加入、2010年には代表デビューもしています。シングルファザーでもあり、会社の許可を得て、お子さんをクラブハウスで食事させていたということで、その協力に感謝していると専門誌のインタビューで語ってもいました。大西氏曰く同世代であり、その意味でも注目していたとのこと。
栗原氏は、2000年慶應優勝時のメンバーです。在学中は監督を務めていた故・上田昭夫氏から「クリ」のニックネームで呼ばれており(上田氏自身がそう話していました)、2001年にトップリーグ新設前、まだサンゴリアスの愛称がなかった頃のサントリーに入って、その年来日したウェールズ代表を破っています。事実これは快挙でしたが、代表チームは2戦とも黒星でした。高校時代に喘息を患い、ゴールキックの前に薬を吸入していたのを覚えています。この人も大西氏と同世代です。
やはり年齢が近くてポジションが同じ、さらに同じプレイを担当している人へのライバル意識、そしてリスペクトの精神は強いものがあります。ラグビーファンとしても、少し前の名キッカーとして記憶にとどめたい元選手たちです。
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